内容説明
死者は実在する。懐かしいあの人、別れも言えず旅立った友、かけがえのない父や母――。たとえ肉体は滅んでも、彼らはそこにいる。日本一有名な霊場は、生者が死者を想うという、人類普遍の感情によって支えられてきた。イタコの前で身も世もなく泣き崩れる母、息子の死の理由を問い続ける父……。恐山は、死者への想いを預かり、魂のゆくえを決める場所なのだ。無常を生きる人々へ、「恐山の禅僧」が弔いの意義を問う。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
mitei
70
結構宗教的な話だったけども感覚的に理解しやすく書かれていてよかった。孫の遺品を収めるおじいさんの話には驚いた。2012/09/10
GAKU
54
恐山の歴史やイタコ、死霊に関するスピリチュアル的な内容を期待していたが、良い意味で裏切られた。ただ恐山の禅僧である筆者は、「死者は存在する」と述べている。これを読んだ私も同じ様に思う事が出来た。死とは?死者を弔うとは?霊は存在するのか?そしてイタコは本当に霊を呼び出す事が出来るのか?興味ある方は是非一読を。2020/04/17
こばまり
50
記憶も思考も感情も、私という存在自体もいずれ全てがなかったことになる。大切な人々も皆いなくなる。想像するだに恐ろしい。恐ろしさは歳を重ねる毎に増す。そんな気持ちが少しほぐれる読書体験であった。2017/11/12
ヒデキ
48
著者の南さんが、「ブラタモリ」で語ってみえることを聞いて「変わったお坊さんだな」と思って書店で見つけて読んでみました。 ご自身の修行は、仏教への信仰から始まっていないという記述を見て宗教ってなんだろうな?と改めて思ってしまいました。 日本の宗教が、どうやって発展してきたのかということと 本来は、あったけど仏教の衣をかぶせてしまった日本人独自の信仰を考えてしまうきっかけになりました。 死者との迎い方は、生者との向き合い方から始まるものですね2022/09/24
白玉あずき
46
恐山の歴史や仏法等について知りたい方には向かない書です。著者初読みですが、かなり禅僧としては異色で個性的な方で、仏教者、禅僧というより、西洋哲学的思考が強いと思いました。近代の合理的世界観から排除された「死」について語るところ、宗教(仏教)の衰退に対する危惧にも、仏教を超えたお勉強の跡が見られます。南直哉氏の個性、思想を読む本かなあ。恐山でのグリーフケア実践を通して、「死者」に捕らわれた生者を救う言葉の滋味には本当に有難いものがあります。イタコさんはお寺と何の関係もないそうで、確かに仏教的では無いですね。2020/02/24