内容説明
「教養」の歴史は意外なほど浅い。もともとは、一八世紀西欧の片隅でひっそりと生まれた小さな概念で、「公の立場と私の立場に引き裂かれた人間が、それを統合するために必要な能力」という極めて限定的な意味しか持たなかった。その教養がなぜ、「古典」「読書」「該博な知識」などと結びつき変質してしまったのか──。新進気鋭の哲学者が、探偵のごとく「真の教養の姿」を追い求め、現代に蘇らせる知的興奮の書。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
calaf
19
簡単に言ってしまえば、「私と仕事とどっちが大事なの?」と詰問される夫が、その両者をうまく調和させ、うまく言いくるめる技術、それが(本来の)「教養」!!!2017/08/08
猫丸
11
book-off のサイトでおすすめに上がった本書書名に失笑、著者を見ればトーダイ出の大学のセンセイということで、こりゃあ相当イタい本じゃねえか、読んでムズムズしようかと思って購入。意外にもなかなか挑発的な良書である。全体的に昨今の流行である「アクチュアルな学としての哲学」路線に乗っており、これはこれで時代思潮ど真ん中の立場だ。ロマン主義と旧制高校的教養主義の密通を剔抉、批判するのもナウな感じ。異端でない保守本流言説への嗜好が読み取れる著者である。要するに「ええ所のお坊ちゃんとか全共闘オジサンはキライ」。2023/02/28
isao_key
8
「教養」の歴史的変遷、「修養」と「教養」の違い、「教養主義」とは何を指すか、など教養についてのこれまでの理解を問いただす。第1章で教養とは、「公共圏と私生活圏を統合する能力」のこと、あるいは生活の公的な場面と私的な場面におけるそれぞれの行動を統合する能力である、と定義している。ギリシアにおいて政治には「暇」が絶対に必要で、暇を持て余していない人間には、社会全体のことに口を出す資格はなかった。ギリシア語で「暇」は、「スコレー」と言い、ここから英語で学校を意味する「スクール」という言葉が作られたのだという。2016/06/09
ステビア
4
再読 いい本だが文体は少し鼻につくw2013/12/10
オランジーナ@
3
清水幾太郎の孫なんですね。結局、これが教養だという割には教養とは何なのかはっきりわからんかった。読解力の問題もあるかもですが。2017/04/19