内容説明
海軍軍医総監に登りつめた高木兼寛は、海軍・陸軍軍人の病死原因として最大問題であった脚気予防に取り組む。兼寛の唱える「食物原因説」は、陸軍軍医部の中心である森林太郎(鴎外)の「細菌原因説」と真っ向から対決した。脚気の予防法を確立し、東京慈恵会医科大学を創立した男の生涯を描く歴史ロマン。(講談社文庫)
感想・レビュー
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yoshida
102
英国留学を終え日本に戻った高木。海軍軍医として精力的に動く。当時の日本で風土病とされた脚気。陸海軍でも猛威を振るう。如何に軍備を整えても、兵士が動けなければ軍は戦う事も出来ない。欧州に脚気は無い。高木は軍の記録から糧食の白米偏重に至る。漢方医の脚気米食起因の報告。海軍の長期航海で洋食を取り入れた実験で脚気は激減。パンより馴染みある麦飯を導入。結果、日清日露で海軍から脚気は払拭。反面、陸軍は森鴎外らが脚気細菌説を固持し莫大な人的損害を出す。後のビタミン発見で脚気は撲滅。世界的に功績ある人物。顕彰されるべき。2023/01/01
Willie the Wildcat
68
基礎vs.臨床医学の差異ではなく、学閥という不毛な論争という感。笑うのが、脚気の原因究明論争の幕を引いたのがコッホ博士という皮肉。確かに脚気治療は、兼寛の明示的な功績。但し、成医会や婦人慈善会の設立精神とその後の実績が、日本医学界への氏の最大の功績。一方、長女に続いて、次男・三男・次女と喪失。私生活面での悲しみは、氏の晩年に影を落としている。加えて、明治天皇崩御が、氏の最後の心の拠り所喪失となった印象。国内ではなく、海外での評価が高かった点も悲しき時勢。2017/02/28
mondo
64
下巻は、人気TVドラマでも見ているような展開に引きずられ、あっという間に読み終えてしまった。イギリスに留学し臨床医学を学んだ高木兼寛(海軍軍医総監)が脚気の予防に成功を遂げるものの、人命を犠牲にしてまで陸軍の威信を守ろうとする陸軍省幹部の悪あがきが醜い。その代表がドイツに留学し基礎医学を学んだ森林太郎(陸軍軍医総監)だった。いや、文豪の森鴎外だ。吉村昭が敬愛するという森鴎外のイメージが変わってしまった。あとがきには、高木兼寛についての資料がほとんど無い状態から書き下ろしたと書かれている。一言で「凄い。」2021/04/13
読特
61
帰国後の活躍。下巻に入っても上り調子は続く。日本の風土病とされた脚気。治療法の追求。仮説。確信。戦艦訓練での実験。許されぬ失敗。結果を待つ。成功の知らせ。地位は揺るぎないものになるはず。しかし、そこに立ちはだかるものが。二度目の世界大戦まで続く陸軍という病。…精力的に働きながらもその晩年はどこか暗い。慈恵病院の設立・生命保険の創立・看護教育の充実。偉大な業績を上げながらも現代では高木兼寛という名を知る人は少ない。…多くの人が気づきながら公に正解が認められない。今もあるその構造。それは日本の風土病なのか。2023/04/26
てつ
44
だいぶ前に読んだ本の再読。医学の政治的な流れでの停滞は現代に限ったことではないのですねぇ。2019/05/02