内容説明
悪性腫瘍の手術後、作家は最後になるかもしれない小説を書きはじめる。自分が確かに生きていたと思える、記憶に深く刻み込まれた情景をつなぎとめながら。世界というものをふいに感じた4歳の頃の東京・赤坂、小学時代を過ごした植民地・朝鮮の田舎町、京城の中学時代、焼け跡の中の旧制高校、特派員として赴いたソウル、そしてサイゴン。自伝と小説の間を往還するように描かれた、新しい試み。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
訃報
9
しばらく黙って互いに顔を見ている。いや心を嗅ぎ合っている、互いの絶望感の暗いにおいを。/現実がつくられるところ、という言葉が静かに身体の中を流れる。歴史がつくられるところ、とも聞こえた。血を吐きながらの大叔父の死も、変わらぬ時計台の姿も、ヘンなカラスも、ともに同じようにそこから現れてくる。2015/01/30
rou
7
死への恐れが荘厳な波紋となって広がり、それは彼の半生を侵し続けた。生々しい現実の裂け目からもたらされた黒い幻想は彼を狂わせ、閉じ込め、そして生命の絶頂へと導く。彼の奥に住まう「ゴースト」は、あのベトナム戦争の公開処刑で恐らく確実に目覚め、やがて小説家としての日野啓三が誕生する。彼をとらえてやまない幻想は、作品の随所でカフカやデュラス等様々な作家の銘文とともに描かれ、日野啓三の文学「感」も垣間見れるところは興味深い。2017/11/10
ndj.
2
まるで別れを惜しむかのごとくに、言葉を選び尽くして綴られた情景の数々。見たこともない京城の岩山が、中国地方の鬱蒼とした山地が、武蔵野の荒野がありありと眼前に広がり、いつしか私も自分の過去へと旅をしている。想起が想起を呼び起こす。魂の籠もった文章を前に背筋が伸びる思いがした。2015/03/19
じめる
2
佐藤春夫の夢見心地のような小説。時空間が巧みに操作されている。それはすべて私の意識がたどってきた印象的な「現在」のつなぎ合わせこそが生であるというところに起因する。「いま」という時間はいったいいつにあるのか。それが大事。兵器工場の生々しさ。そして、多数の作品の名前が散見されること、パスティシュも見られる?2014/01/24
龍國竣/リュウゴク
2
これが本当に老年期にある男性の書いた小説だろうか。まるで少年のように瑞々しい感性、豊かな想像力に驚く。朝鮮からの引き上げに作品の中間地点はある。しかし、戦前と戦後は主人公の成長を除けば、そこにある不安、期待共に変わりはない。まっすぐな目で世界を見つめる。 2012/07/20