内容説明
師千利休は何故太閤様より死を賜り、一言の申し開きもせず従容と死に赴いたのか? 弟子の本覚坊は、師の縁の人々を尋ね語らい、又冷え枯れた磧の道を行く師に夢の中でまみえる。本覚坊の手記の形で利休自刃の謎に迫り、狭い茶室で命を突きつけあう乱世の侘茶に、死をも貫徹する芸術精神を描く。文化勲章はじめ現世の名誉を得た晩年にあって、なお已み難い作家精神の耀きを示した名作。日本文学大賞受賞作。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
優希
111
単行本で読みましたが、こちらで登録。利休の晩年の孤独な精神が伝わってくるようでした。利休は何故死ぬべきであったのかということを考えさせられます。不特定の人物と本覚坊の語りの入れ子構造で利休の身近な人物の証言や記述物から語られることで死にゆく利休の心理や覚悟が伝わってくるようでした。何故利休は死ななければならなかったのかという史実に迫っているわけではありませんが、その死への想いが目に見えるようです。2017/01/14
NY
17
秀吉が千利休に自死を命じた理由は早くから具体的に推測されてきた一方、なぜ利休が命を静かに受け入れたのか、なぜ詫びなかったのか、人々は理解に苦しみ長いこと煩悶してきたようだ。その謎に対する「井上流」の答えが、秀吉と利休の魂が対面する最後の場面で明かされる。秀吉の庇護を受ければ受けるほど、自己を損なってきた利休。生殺与奪を一手に握る権力者から死を賜ることは、自己を取り戻すためには避けられない運命だったのだ。利休の畳み掛けるような決別の言葉にただうろたえる秀吉。男女の別れのようでもあり、妙に腑に落ちた。2019/02/09
Takashi Takeuchi
14
利休の弟子である本覚坊が古田織部、織田有楽斎、東陽坊、江雪斎など師と所縁ある人々と語らうことで利休の死の真相、利休の茶の真髄に迫ろうとするが、全ては靄の中、結局答えは明かされないまま。その答えは読者に委ねられる。本覚坊の手記形式をとることで、静謐ながらも亡き師への想いの深さが伝わってくる。随分昔に観た熊井啓による映画化作品『千利休 本覚坊遺文』もこの小説の持つ雰囲気を上手く映像化した佳作だった。2022/12/16
yutaro sata
12
利休を見ていた人。2022/05/14
河内 タッキー
12
侘茶を突き詰めるということは、一つ一つ排していくこと。最後は自分自身を排することということを悟った利休。それに共感した山上宗二と古田織部も同じ道をたどる。ただ、それはこの三人だけの話。「無では無くならない。死では無くなる」それと有楽斎の「茶人はみんな死んだ。わしは死なんが茶人だ」という言葉が印象的だった。これは11年ぶりに再読。前に読んだ時よりまた違った印象だった。恐らく次読む時にはまた違った印象を持つだろう。その時における自分の立場とそれまでの経験によって感じ方が変わるに違いない。2020/05/13