カラヤンがクラシックを殺した

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カラヤンがクラシックを殺した

  • 著者名:宮下誠
  • 価格 ¥803(本体¥730)
  • 光文社(2014/06発売)
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  • ISBN:9784334034832
  • NDC分類:762.8

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内容説明

20世紀を代表する指揮者、カラヤンによって音楽鑑賞は大きく変化した。その功罪と、クレンペラーとケーゲルの絶望的な「危険な音楽」を通して、音楽・芸術・人間存在を考える。

目次

第1章 音楽の悪魔―プロレゴーメナ(死後20年目のブーム 音楽の言語化 ほか)
第2章 流線型の美学―ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908~1989)(『大地の歌』 人口楽園 ほか)
第3章 孤高の絶対音楽―オットー・クレンペラー(1885~1973)(満身創痍の鉄人 アンチ・モラリスト ほか)
第4章 絶望の音楽―ヘルベルト・ケーゲル(1920~1990)(自殺したくなる音楽 途絶えたキャリア ほか)

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

巨峰

36
他の人も書いているけど、批評になってない。主観的な思い入れの吐露にすぎない気がする。叩きやすいカラヤンを叩いているだけな気がする。カラヤンはこの作曲家はよくて、この作曲家は駄目、ってところは面白かったけど、それが正しいかどうかわかる知識は僕にはありません。でも、本当は筆者はカラヤンが好きな気がするな。2009/07/05

キムチ

10
クラシックの啓蒙はカラヤンによってと云う印象の私。かなり過激なタイトルだからこそ読んでみる。 社会人類学の教授にしては主観が強すぎ。芸術自体、主観が色濃く入るものゆえに、こうぶった切るのは如何なものか。 ポストを巡って敗北したクレンベラ-を取り上げ、「20世紀の損失」と断定している。ふ~~ん、凡人には納得しかねるが拝金主義者とか小人とまでいわれるとねぇ~ いい読後感は持てなかった。2013/06/24

牧神の午後

5
すごくイヤな感じ。好みは筆者と似ているところもあって、クレンペラーの復活、マラ7,ケーゲルのタコ5とか、もっと言ってしまえばタイトルでウリにしているカラヤンへの悪意ですら、筆者の印象・評価に同意なんだけど、如何せん印象批評以前の、個人的な感覚をさも普遍化できるような書き振りが、もう読んでいて気持ち悪い。それに、カラヤンと対峙せしめるのにクレンペラーとケーゲルなのか?というのもチョット違うような気がする。たとえば、カラヤンと表面は同じ完璧主義で出てくる音楽真逆のトスカニーニ、完全真逆のレニー、或いはチェリ。2020/08/27

Viola

5
興味あるタイトルに古書フェアで購入。著者は世界の苦悩に目を背け刹那的な音楽を作るカラヤンと、それを受け入れて賞賛する聴衆に怒ってるわけです。なるほど、たしかにフルトヴェングラーとカラヤンのブラ1を聴いてみると同じ譜面とは思えない。才能を欲しいままにしているカラヤンが、ヒーリング音楽とも言われる心地よく華やかな音作りに終始したことに愛情の裏返しでぼやいているように思える。言いたいことはわかる。音楽の感想は経験や感性を通した個人的なものであること、指揮者での違いを知ったことは収穫。文章は熱すぎて面白い。2014/11/16

さえきかずひこ

5
時代錯誤と承知の上で、ポストモダン批評を好まない筆者により、あえて徹底した印象批評が展開される。カラヤンがポップで薄っぺらであることがひたすら憎いのかと思い読み進めていくとその"表面的な流麗さ"に愛憎半ばしている感じもあり、微笑ましい。しかしひたすら大仰な文体にはくたびれる。新書というメディアの特性を捉え損ねているのではないか。カラヤンというアイコンを用いた大衆批判としては構成にムラがあり、気分は分かるが、主観的過ぎて退屈な一冊。次は批評に特化した入門書でも書いたらどうか。2009/03/10

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