内容説明
近代社会存立の仕組みには、自己否定へ導くダイナミズムが潜んでいる。本書では自身の中に他者を孕むその様を、二つ焦点(=中心点)をもつ楕円になぞらえ、近代の本性に迫る。他者という存在に投資することで初めて成り立つ資本制の構図を明らかにし、その起源を錬金術に求めた。近代の萌芽から帰結まで様々な題材を議論することで、我々の社会の有様を示す。現代社会の問題に真摯に向き合いつつその行く末を論じる、著者の多層的見識が十全に発揮された意欲的論考。
目次
第1部 幻想としての資本主義(資本主義の錬金術 楕円幻想―資本主義の精神と転形期の精神)
第2部 近代という運動(表象の社会論理学 荘厳と透明―転換期のモーツァルト 十九世紀―二人の父の間に)
第3部 終末としての資本主義(世界の終わりの遊園地 環境倫理の未来)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
30
ごく初期の論文集で、タイトルと本の全体の印象は一致しません。むしろ、近代論として読めます。非常に難解で題材も多岐にわたり、今の読者ならば読まないでしょう。「この決定的な機能にもかかわらず絵画が慎重に排除しようとしている場所、その場所は逆にまた、絵そのものが見つめている場面でもあるわけだ。」これは近代論であると共に、近代を論じた本書の態度そのものを表しています。読者が容易に読み通せないものが評価されるのは単に流行の問題ではない、当時と現在で知に対する考え方が異なることにあります。2020/12/17
NICK
13
大澤真幸の思想にはさまざま難点が見受けられるが、にも関わらず大澤の文章が面白い、知的刺激に溢れているのは、やはり根源的な問いがその骨子に貫かれているからであろう。「なぜ今こうであって、別の形ではなかったのか」という問いである。ごく初期の論文集である本書では我々の「今」を強く規定している「資本主義」「近代」について大澤流の(ほとんどお家芸と化した第三者の審級理論を絡めた)分析が試みられている。なかでも花田清輝の『復興期の精神』を論じた「楕円幻想」は白眉。大澤の明快な論述が花田のポテンシャルを引き出している2015/05/07
静かな生活
2
真正面からの資本主義論、真剣なディズニー批評等々、恐らくいまの「現代思想」のことばでは捉えることができなくなった何か2020/12/02
くらひで
2
近代社会の資本主義とは何か。その本質をモーツァルト、フーコー、フロイト、ディズニーランドと村上春樹などの言説を切り口に独自の視点から解明を試みる。本書の初版は1991年。ちょうどその頃、冷戦体制は終わり、イデオロギーとしての資本主義は当時とは大きく変質した。最近の著書も読んでみたい。2013/11/02
猫丸
1
再読。手元にあるのは1991年刊の初版本で、当時読んでよくわからなかった記憶がある。今回の再読では、ニューアカ旋風末期の空気ってこんな感じだったよなあ、という懐かしさが先行した。内容は豊富だがオリジナルではない。著者にも何か言いたいことはあったが、それは既に誰かが言ってしまった。必然的にそれを紹介するしかない。というわけで、色々な誰かの断片を集めた本。だが、それで良い。断片の選択こそが自分を語る。惜しいことに、今ではそれらの殆どが陳腐化しているが。2018/06/17