内容説明
銀色に輝くヒマラヤの峰に神々しく光を放つ満月を観ながら、架山は思う。一体、しあわせとは、人間の幸福とは何であろう。「永劫」――それ以外、何も感じようがなかった。そして架山はすっと背負い続けてきた湖上の出来事を、遠い一枚の絵として眺めることができるようになっていた。――娘よ、今夜から、君は本当の死者になれ、鬼籍に入れ、静かに眠れ。死者と生者のかかわりを通して、人間の〈死〉を深く観照した、傑作長篇。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
NAO
54
子を亡くした親の姿としては、架山より大三浦の方が生々しく痛々しい。我が儘ではた迷惑でも、変に娘を自分の中に取り込んで自分の思うような会話を楽しんでいる架山よりずっと、子を亡くした親の痛みがリアルに描かれていると思う。友人に誘われてヒマラヤに月を見に行き、そこで永劫を感じて心境が変化した架山と、琵琶湖周辺の十一面観音を参拝しつくすことで踏ん切りをつけた大三浦が琵琶湖で再会し和解して話は終わるが、私としては、大三浦側の話を読みたかった。2022/10/02
ひさしぶり
23
シェルパ達と登るヒマラヤでエベレスト連峰の白い屏風に囲まれた刻々と変わる景色に登山に興味がなくても魂を持っていかれそうな気持ちになります。かなり贅沢な登山旅で真似はできそうもありませんが。遺された者との接点である遺骨、のない死者との訣別がどんなに区切りのない悲哀をもたらすのか。人力を超えた自然や祈りに触れる時(ちっぽけさ)を感じ達観の欠片を得ることができるのかも。 2022/05/09
あかつや
3
下巻はヒマラヤ観月旅行へ出発。雄大なヒマラヤの麓でお月さんを拝むことで、こうピッカーンとなにか超宇宙的な何かを閃いたり、死んだ娘との対話に新たな進展でもあったりするのかと思いきや、意外とあっさり行って帰ってきちゃったな。私も登山の経験があるので分かるんだけど、山に登っている最中は何も考えない。ただただ無心で足を前に運ぶだけなんよね。その無心になるという状態が、宗教で言うところの祈りとか瞑想に近いんだろう。この小説で架山の内面に特に劇的なことが起こらなかったってのが、さすが井上さんわかってんねえって思った。2021/09/09
それいゆ
3
12月3日に湖北の渡岸寺(向源寺)を訪れ、十一面観音立像を参拝することになったので、この小説を読むことにしました。読み終えて初めて「星と祭」の意味が分かったような気がします。文中に出てくる「永劫(えいごう)」「殯(もがり)」という言葉が心の中に深くしみこんできて、穏やかな心境になりました。ヒマラヤへ行って月を見るという話は、物語の展開には欠かすことができない部分だとは思うのですが、何か違和感を感じるのは私だけなのでしょうか?2011/11/05
茶瓶
2
娘の死を受け入れていく軌跡。それは、自身と向き合い、自身を受け入れていくような道程でした。重苦しかった空気が、最後には少し軽くなり、希望もみえてきます。ですが、架山が最後まで自分しか見えていないのが、少し悲しいです。最後まで、娘は架山の心を映す鏡でしかなかった。最後まで、架山に都合のよい魔法の鏡でした。悪事を働くわけではないけれど、まるで白雪姫の王妃の鏡のようです。時代の違いによる価値観の違いなのでしょうか?観音様と山の描写は美しかったです。自然の中で癒される話としては、美しかったです。2016/03/18