内容説明
ひとりの人間の犠牲において成立した宗助とお米の愛の勝利は、やがて罪の苦しみにおそわれる。「人間の心の奥底には結核性の恐ろしいものがひそんでいる」という。ついに宗助は禅寺の山門をたたくが、安心と悟りは容易に得られない。そこに真の意味の求道者としての人間漱石の面目があった。明治43年の作品。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
さくりや
23
現代インターネットで読む夫の愚痴とほぼ同じ内容だけど大丈夫?「何もしない」という大罪。宗助の口先ばかりで行動しないところはどうかと思った。小六も大概だが。男だ女だと性差が強調されるが、女が辛い思いをしていても何もしないのが男らしさなの?無知なままで男の言いなりになるのが女らしさなの?受動的に周りに流されてばかりのメイン3人に苛立ったので、自分の人生をアグレッシブに切り拓いている安井に好感を持った。宗助稼ぎ少ないんだから家事くらいやりなよ。厭な男性を描かせたら漱石の右に出る者はいないんじゃないかなあ2024/09/08
高橋 橘苑
19
「三四郎」「それから」「門」は、三部作と言われている。それぞれの主人公達は、生きるという単純な事象について、あたかも逡巡するかの如くに映る。懐疑の沼にはまってしまった人の様でもある。三四郎の与次郎、それからの父、門の宜道という登場人物に比して、彼らは目的に直線的になれない。年譜では、「門」発表当時の漱石は、沢山の子と門下生に囲まれながらも、神経性の胃病に苦しんでいる。逆説的ではあるけれど、幸せであればあるほど不幸にならざる得ない。文学はもしかすると、漱石の過敏な精神を癒す心のオアシスでもあったのだろうか。2015/10/03
たかぼー(人身御供)
14
宗助夫婦のやり取りを眺めてるだけでも十分面白かったのだが、途中から雲行きが妖しくなる。ハッキリせずもどかしさが残るが、ある意味ではそれがリアルなのだ。ただ自分としては宗助とお米のやり取りだけで十分満足だ。そこから物語が生み出されていくが、普通に二人、火鉢を挟んでぽつぽつと言葉を交わす姿だけで、もうお腹いっぱいありがとうございました。2013/02/19
Tomoko.H
12
また…どうして手ぬぐい柄の装丁のがないのよ!仕方ないから同じ角川で登録。『三四郎』『それから』そしてこの『門』。テーマは恋愛。経済的に不自由でいて、こう希望もなく暮らしていけるものだろうか。野心がなければ苦しむこともなく、足るを知り二人で居れば満足…するしかない、という諦観がなんとも。なんか…事故に遭ったような、嵐のような恋だね。その償い?でもそんなに悪いことだったのかなと思った。動揺のあまり禅寺に入門する宗助。しかし門は開かれなかったのだ。2017/01/06
algon
11
「三四郎」で提起された「迷える羊」という愛のイメージは「それから」を経てこの作品でとりあえず落ち着いた形を見せる。市井の隅でひっそり暮らす宗助とお米の夫婦はかつての環境から社会的制裁を受けた道ならぬ愛の末路の形だった。その暮らしぶりと、思わぬ所から過去が牙をむき懊悩する宗助を描き、遂には禅門を叩いて宗教の救いを試すが失敗、やがて春がきて夫婦にも温かな日がさしてくる…。何気ない会話や夫婦の佇まいに憧憬を抱いた若い頃を思い出した。この雰囲気に惹かれ漱石作品の中で個人的に1番好みの本だった。ほぼ音読で楽しんだ。2020/05/14