内容説明
「脳が死んでも体で話しかけてくる」
冷たい夏の日の夕方、25歳の青年が自死を図った。彼は意識が戻らないまま脳死状態に。生前、心を病みながらも自己犠牲に思いを馳せていた彼のため、父・柳田邦男は思い悩んだ末に臓器提供を決意する。医療、脳死問題にも造詣の深い著者が最愛の息子を喪って動揺し、苦しみ、生と死について考え抜いた最後の11日間。その日々を克明に綴った感動の手記。
目次
百年の孤独
溢れる涙
断章・日記との対話
ぼく自身のための広告
断章・カフカの香り
夜間飛行
脳死・「二人称の死」の視点を
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
匠
149
中学時代から心を病み、25歳で自死を選んでしまった息子さんのそれまでの状態を大量に残された日記など抜粋しながら、親としてその死を追及する話かと思ったらそうではなかった。脳死と臓器移植、患者・家族と担当医・移植医との複雑な葛藤、今後の脳死や尊厳死について一石を投じる内容で後半は特に興味深く読んだ。いろいろ書きたいことはたくさんあるのだが、突然死や即死と違って11日間でも心の準備ができたご家族はまだ救われてたと思う。しかしカバー下の装丁を見るに、息子さんが生きている間に救えなかったのが残念でならない。(続く⇒2014/03/31
ゆいまある
137
過去に勤務していた精神病院で、誰かの面会に来た柳田邦男を見かけたという患者さんがいた。顔を見て柳田邦男だと判断できるのがすごいな(人違いの可能性も勿論ある)と思いつつ、そのことが心に引っかかっていた。柳田邦男の次男は、長く心を病み、25歳で自死している。その息子の死に寄り添った記録である。私は最近、密かに友達のように感じていた患者さんに死なれた。自分を責めている最中である。赤の他人ではなく、身近な人が死ぬことはどういうことなのか。考える。治療だけではなく、人の心に寄り添うのが医の倫理。考え続けたい。2022/12/21
Willie the Wildcat
93
日次で語る変遷を踏まえた著者の”提案”。幅のある定義は、もれなく同感。個々人の価値観の尊重。印象的なのが、「人称」の件。中でも、三人称。冨岡医師の場合、”2.5”人称という感。但し、理想ではあるが、全医療関係者に当てはめてしまうのは、物心両面で少々酷という気もする。表題は、洋二郎氏の臓器ドナーのみならず、関係者1人1人の心と解釈。加えて、『あとがき』で知った装幀に込められた著者の願い。子供を持つ親として、少なからず共感。自分に置き換えるが、文字にする辛さを感じる。2020/04/20
青乃108号
91
現状、あまり頭脳明晰ではない為、感想をまとめる事が困難。俺とてもメンヘラのはしくれとしては今のところ希死念慮まで持った事はないが、まかり間違ってそのような事をしてしまった場合の家族の哀しみを考える。自戒の書として。2021/12/03
chimako
88
あまりにも多くの事柄が押し寄せ、考えさせられる事も溢れ何から書けば良いのか混乱する。昨年、柳田氏の講演を聴く機会に恵まれ絵本についてのお話を拝聴した。紹介されたのは『わすれられないおくりもの』や『ヤクーバとライオン』など。この本を読んでからであれば、多分聴き方も違っていたであろうと残念でならない。『犠牲』は20年以上前に書かれたものであるから、脳死や臓器移植については現在と多少隔たりは有るかもしれない。しかし氏が「二人称の死」という言葉で語る身近の死に対する眼差しは不変である。……続く2015/06/19