内容説明
1923年9月―、関東大震災直後、戒厳令下の帝都東京。「三義者暴動」の流言が飛び、実行される陸軍の白色テロ。真相究明を求める大川周明ら左右両翼の思想家たち。社屋を失い、山本実彦社長宅に移した「改造」臨時編集部に、大正一級の言論人、仇討ちを胸に秘める同志らが寄せる、享年38歳の革命児・大杉栄への、胸を打つ鎮魂の書!
目次
大杉君と最後に会うた時(山川均)
ドン底時代の彼(村木源次郎)
かたみの灰皿を前に(安成二郎)
外二名及大杉君の思出(山崎今朝弥)
無鉄砲、強情(和田久太郎)
可愛い男大杉栄(賀川豊彦)
飯の喰えない奴(岩佐作太郎)
小児のような男(堀保子)
第三者から見た大杉(内田魯庵)
殺さるる前日の大杉君夫妻(松下芳男)
印象二三(土岐善麿)
大杉君の半面(近藤憲二)
善き人なりし大杉君(馬場孤蝶)
追憶断片(宮島資夫)
回顧(有島生馬)
一等俳優(久米正雄)
著者等紹介
大杉豊[オオスギユタカ]
1939年、横浜市生まれ。大杉栄が殺された当日に訪ねた弟が父であり、そこで生まれた。東京都立大学社会学科卒業。東京放送(TBS)入社、調査・営業・編成部門を経て定年退職。東放学園専門学校・常磐大学国際学部講師
山川均[ヤマカワヒトシ]
1880~1958年。倉敷市生まれ。明治から昭和にかけての社会主義運動者。第1次共産党結成に参加。のちに労農派を形成して共産党と対抗、労農派マルクス主義の理論的支柱となる。31年以後は専ら評論活動。戦後は社会主義協会を結成し、左派社会党を支援した
賀川豊彦[カガワトヨヒコ]
1888~1960年。神戸市生まれ。米国プリンストン大学、同神学校に留学。帰国後、友愛会に参加、関西労働同盟会理事長となり、労働運動に活躍。やがて生活協同組合運動、農民運動に転じ、戦後は社会党結成に参加
内田魯庵[ウチダロアン]
1868~1929年。東京都台東区生まれ。小説家デビューののち、『罪と罰』などの翻訳も刊行、評論家としても活躍する。01年、丸善書籍部門の顧問になり、同社のPR誌『學鐙』の編集に晩年まで携わる
有島生馬[アリシマイクマ]
1882~1974年。横浜市生まれ。洋行5年の間に伊・仏で美術を学び、セザンヌに傾倒する。帰国後『白樺』の同人となり、創作集『蝙蝠の如く』などを発表。14年、二科会を創立。大正期後半から次第に画業に専念。64年、文化功労者になる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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