目次
終戦を知らずに戦い続けた三十年
「心ならずも戦死された」は英霊に対する侮辱
「死んだら会おう」と約束した場所は靖国神社以外にはない
独身で亡くなった霊は誰が祀るのか
「生き続ける」という任務
「隊長、早く死んだ奴の方が楽だったですね」
自然の中で感じた人間の弱さと社会の恩恵
目的のために全力を尽くせば道は開ける
キャンプに懸けた子どもたちへの願い
著者等紹介
小野田寛郎[オノダヒロオ]
大正11年(1922)3月、和歌山県生まれ。昭和14年(1939)春、旧制海南中学を卒業。貿易会社に就職、中国・漢口(現在の武漢)支店勤務。昭和17年(1942)12月、和歌山歩兵第61連隊入隊、昭和19年(1944)1月、久留米第一予備士官学校入校。同年9月、陸軍中野学校二俣分校で訓練の後、同年12月フィリピン戦線へ。以後30年、作戦解除命令を受けられないまま任務遂行。昭和49年(1974)2月、鈴木紀夫氏と遭遇、同年3月、祖国に生還。昭和50年(1975)春、ブラジルに渡り、牧場を開拓、経営。昭和59年(1984)「自然と人間の共生」をテーマに、子供たちのキャンプ(小野田自然塾)を開く(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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やじ
28
小学生にも読めるように、全てにルビがつき、言葉の解説もあります。この時代の背景も平易な言葉でまとめられています。学校の副読本としていかがでしょうか。34ページの中に小野田寛郎少尉の心がぎゅっとつまっています。自然の中では人間は全く無力である。針9本を作るために大の男が二人がかりで2日半。日本へ帰ったら1ダース百数十円。それ程社会に生かされているのだ。子供達には、社会に感謝し、この国を護り続けて来てくれた先人へ感謝する心を持ってほしい。生きる事に迷う時は小野田さんの言葉を読む、そしてまた一歩前に進んで行く。2016/03/15