内容説明
左遷は三度。しかし、くじけない!!仙波太郎の学ぶ姿、生きる姿、社会貢献する姿は、現代人に通じる。陸軍中将、仙波太郎(1855~1929)は、伊予松山の没落した庄屋の長男として生まれ、天秤棒で松山城下を行商しながら私塾米山塾で学び、陸軍教導団、士官学校、陸大と優等で進みドイツに留学し日清・日露戦争に従軍した。将来を嘱望されていたが、三度も左遷があった。名古屋俘虜収容所のドイツ人捕虜との交流、加納(岐阜)少年団の創設、各学校などの講演活動と幅広く活動した。衆議院登院はサーベルを下げ大礼服姿で話題となった。晩年は加納(岐阜市)を終の棲家とし書面に親しんだ。反骨精神を持ち、盟友秋山好古と交流し、さまざまな事績を残した、「仙波太郎」を探る。
目次
第1章 郷里・伊予松山(少年・青年期;上京後)
第2章 陸軍における足跡(エリートの道を;日清・日露戦争;陸軍中将 仙波太郎)
第3章 岐阜・愛知(名古屋時代;終の棲家 岐阜時代;仙波太郎 代議士になる;晩年の活動)
終章 人間 仙波太郎
著者等紹介
仙波実[センバマコト]
1951年岐阜市生まれ(仙波太郎の孫)。東京理科大学理工学部工業化学科、機械工学科卒業。高岳製作所執行役員、技術開発本部副本部長、技術開発研究所長等歴任
田所軍兵衛[タドコログンベエ]
1976年松山市生まれ。立命館大学文学部中国文学科卒、立命館大学大学院文学研究科博士前期課程(東洋思想専攻)修了。京都明徳高校、京都女子高校講師のち、愛媛県県立高校教諭。伊予史談会所属(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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