出版社内容情報
ひきこもる子ども達との共生の場、タメ塾。そのタメ塾の塾長・工藤定次とひきこもる子ども達とのつき合いの記録。塾生達によるタメ塾大紹介も。
序にかえて
不登校は病気でも障害でもない
【第1部】
ひきこもりという生き地獄から
抜け出すためには、
“待つ”だけの行為に終止符を打ち、
“行動”することだ。
●“ひきこもり”の今日
こもりは誰にでも起こり得る
●「ひきこもり」をめぐる混乱
ひきこもり仕掛人富田富士也君への批判
●“いじめ”と“不登校”
いじめが不登校の主たる原因ではない
●出会いと旅立ち・梶原純二君のこと
「この子は決して自らの力では出られない」
●出会いと旅立ち・水口慎二君のこと
ひきこもり歴十五年の三十一歳
●出会いと旅立ち・堀川純子さんのこと
学校には行きたいが“一歩”が踏み出せない
●出会いと旅立ち・斉藤聡君のこと
“ひきこもり”解消のきっかけはメキシコ旅行
●安易に語られすぎる自立という言葉
不登校の子はフリーターにしかなれないのか
●大人になるということ
“大人になる”時は、自分で決める
【第2部】
教室あり、寮あり、仕事もあり。
スタッフがいて、親がいて、
そして子ども達がいる、
タメ塾という場。
●タメ塾ってどんなとこ
●タメ塾r> だから、工藤がやるしかないんです
●タメ塾を応援する元高校教師
前人未到の難問に挑戦するタメさんの試み
あとがき
『タメ塾』は、東京のはずれで誕生した。二十数年前のことである。大学時代の知人が『英数教室』という名で、こじんまりとやっていたのだが、ある病気で入院することになり、半年という約束でピンチヒッターをやることになったのが始まり。なんと、その知人は、アッサリと他界。奥さんと、幼い子どもがいたのだが、
「好きにして下さい」
ということであったので、代打の私は、辞めるつもりだった。ところが、出逢いというか運命のいたずらというか、たまたまサリドマイドの中学二年生の可愛らしい女の子がいて、
「私、将来漫画家になりたい」
と言う。その子の両腕は、私たちの三分の一ほどの長さで、ちょっと不自由そうに見えるのだが、鉛筆やコンパスなどを実に器用にこなし、彼女の描く絵もなかなかのもの。
「この子の将来が見える入口までは付き合おう」
と思ってしまったのが、そもそも間違いのもと。
「先公、坊主、金貸しだけにはなるまい」と固く決心していたのだが、まさか
「教育界に巣喰うダニ」
の学習塾をやろうとは……。周囲も驚いたろうが、本人が一番驚き、危ぶんだのだ。ところが、やってみると、これが結構面白い。何が面白いったって、動物園の通の子だよ」
と感じ、思った。今でも変わらない思い。だが、七、八年前までは
「当たり前の子どもたちだ」
と主張しようものなら
「シロウトが何を言うか」
の一言。今では「普通の子ども」が一般化。一体、今も生きているであろう、当時の専門家と言われた人々は、何と言い訳するんだろう。実に非道いものだった。しかし、タメ塾では「普通の子ども」という視点で、独自な方法と形態を作り出すことができたのだから、良し、としよう。
(中略)
一時期私は、専門家と称される人間が口にする
「治す」
「立ち直らせる」
という言葉に反論し続けたものだ。
「病気でも、障害でも、何でもない子どもたちを治す、とは何だ。子どもたちは、何でもないんだから、自分の力で気付き、変化するのだ。大人は、環境を整備、提供するだけで良いんだ」
と。これは今でも変わらない。
子どもは、ほとんど何事においても、自らの力で気付き、変化し、成長して行くものだ。大人や、諸機関は、それらを単にサポートする役割を担えば良いのである。タメ塾が、この二十数年間やり続けたことと言えば、空間を提供し、若干のサポートをし続けてきたに過ぎない。更に一言付け
20年前から[ひきこもり達]とつき合い続ける工藤定次は、多くのカウンセラーや医師たちが口にするアドバイス、「そのままじっと見守り続けましょう」を徹底的に否定し、論駁する。「待つのは、3か月から長くて1年まで。それ以上は、子どもの大切な時間を浪費させるだけ」。
「ひきこもりという生き地獄から抜け出すためには、待つという行為に終止符を打ち、行動することだ」と。
東京・福生の「タメ塾」で20年以上、いろんな子どもたちとつきあいつづけたタメ塾塾長・工藤定次は、
ひきこもり達]に向かってつぶやくのだ。「そろそろ外へ出てみようぜ」。