内容説明
グールドとチェリビダッケの対立。2人の音楽家のレコード(録音)を巡る対極的な立場。それは音楽観の違いによるものか、レコード独自の性質に起因するのか。レコードを複製芸術として捉え、その在り方を探る。チェリビダッケの息子イオアン氏と著者の対談も収録。レコードを絶対に認めなかった指揮者チェリビダッケの素顔を語る。
目次
第1章 グールドとチェリビダッケ
第2章 レコードは真実を伝えられるか
第3章 複製芸術としてのレコード
第4章 レコードの虚像性
第5章 レコードの創造性とPA
第6章 レコードの演奏論
第7章 視覚(コンサート)による幻惑
第8章 アーカイヴとしてのレコード
第9章 チェリビダッケ
第10章 グールド
第11章 レコードの虚像と実像
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
1959のコールマン
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☆4。タイトルだけを見るとレコードに関する哲学的考察のように思えるが、そうではなく、具体的な違いをグールドとチェリビダッケを中心に解題した本。言うなれば、その場で楽譜を元に生成する建築物=生物としての音楽、と、楽譜を建築図として組み立てていく建築物=静物としての音楽といったところか。だが結論というモノはなく、様々な主題が立ち現れては消える、という印象。今回、改めて熟読したが印象は変わらず。とはいえ、ブラームスのピアノ録音、ピアニスト田中希代子が紹介されている「アーカイヴとしてのレコード」は面白く読めた。2019/02/21
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- テコンダー朴 分冊版22