内容説明
そうか、これが思考と付き合うということだった。ある異色の精神性と伴走すること。対話を続けつつ、たゆたい、まどい、そして気づく。立ち止まって、想念の訪れを待ちながら、ゆったりと耳を澄まして考える。中島=キルケゴールの思考のドキュメント、全3冊完結。
目次
第5章 無限な自己というイロニー(第2篇 絶望は罪である)(宗教的詩人;「無限な尺度」としての神 ほか)
第6章 無知と啓示―(第2篇 絶望は罪である 第2章 罪のソクラテス的定義)(ソクラテスの「無知の知」;ソクラテス的なものとキリスト教的なもの ほか)
第7章 積極的なものとしての罪―(第3章 罪は消極的なものではなくて、積極的なものであるということ)(罪は積極的なものである;キリスト教の逆説とソクラテスの無知 ほか)
終章 単独者として―(B 罪の継続)(罪のダイナミックス;キリストに面する自己 ほか)
著者等紹介
中島義道[ナカジマヨシミチ]
1946年生まれ。東京大学法学部卒。同大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士)。電気通信大学教授を経て、現在は哲学塾主宰(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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K
6
つまずきとは何か?イエスキリストが神であり人間であるという事態へのつまずき。最大限のつまずきから、信仰へと変わる弁証法的(逆説的)展開。問題を棚上げして、毎週日曜日説教を聴きに行って満足している連中への怒り(でも気づいて欲しいという愛をも)感じる。神の存在抜きにはキルケゴールを読み解けないということは良くわかった。弁証法的というキルケゴールでの意味も理解できた気がする。心理的分析と秀逸な譬え、クリスチャンでもない人間にも通じる何かを感じさせる考え方が、キルケゴールを気になる存在にしておりますわ。2025/05/25
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