目次
第1章 農村からの問いかけ
第2章 本拠地を与えられて―十字架を掲げず
第3章 窓辺に灯を
第4章 逆さの世界地図が語りかける
第5章 スロー風土・スロー人間
第6章 里山の風を受けて感性を養う
第7章 農・自然の摂理の中で
第8章 共生・共存の視座をめぐって
第9章 バケットリスト
第10章 リトリートハウス
著者等紹介
荒川純太郎[アラカワジュンタロウ]
1942年西宮市生まれ。1961年関西学院大学神学部入学、「筑豊の子供を守る会」キャラバン隊に参加(6年間)。1967年同大学卒業後、関西を中心に牧会(島之内教会→大正区伝道所→*アジアへ→大阪聖和教会→1985年広島牛田教会→1998年共生庵)*1982年マレーシア・サラワク州の少数先住民のイバンメソジスト教会へ協力牧師(日本キリスト教団在外派遣教師)として家族と共に赴任。関西赴任中は関西労働者委員会のインターン・釜ヶ崎越冬闘争支援活動・関西都市産業問題協議会(KUIM)事務局担当などでの経験に多くを学ぶ。広島牛田教会牧師・あやめ幼稚園園長として13年間勤務。その間広島におけるNGO国際支援活動・平和活動・森林ボランティア活動等に関わる。1998年3月末牧師・園長を辞職。4月初め広島県中山間地域(豊栄町)へ移住。「共生庵」(地球市民共育塾)を連れ合いと開設(共同主宰)。1999年11月双三郡(現三次市)三和町敷名に農家と山林を取得し移住。2016年3月、日本キリスト教団教師隠退
荒川奈津江[アラカワナツエ]
広島市生まれ。広島市内にて被爆。広島女学院高校卒業。神戸女子薬科大学卒業後、東洋工業(株)付属病院勤務。結婚後、大阪市にて子育てをしながら石井記念愛染園病院、谷口小児科病院に勤務。その後家族と共にマレーシア・サラワク州シブにて宣教活動に参加する(3年3ヶ月)。帰国後、大阪、広島の教会や市民グループに参加して活動する。共生庵活動に入ると共に薬剤師として里仁会白龍湖病院勤務(大和町)。定年退職、母親の介護後、現在に至る。結婚後フラワーデザインを学び、大阪、広島などで教室を開催、また教会での結婚式やティーパーティーのフラワーアレンジメントを数多く手がける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。