内容説明
私小説の時代は終わったが、我々は我々自身の生を否定するところまでは行っていない。生とは何か、ということを追求せずに、純文学を否定してよいのか。純文学の作家たちは、徹底して「生」について考えた。生は自らの内にあり、内部生命は何ものにも従属してはならず、その先に他との出会いがある。純文学とは何か。北村透谷・志賀直哉・高見順たちが繋いできたもの。
目次
序(純文学とは何か;「純文学」言説の歩み;指標としての高見順)
第1章 文学の独立(文士;文学の独立)
第2章 私小説の意味(「私」をめぐって;私小説の意味)
第3章 純文学とその先(純文学―自我の拡充としての文学;内なる歴史と純文学)
著者等紹介
小林敦子[コバヤシアツコ]
1978年、北海道生まれ。京都大学博士後期課程修了。現在、就実大学人文科学部表現文化学科准教授。博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
K.H.
8
大変面白かった。市民社会を作ることができなかった日本人の典型的文学として、戦後一貫して攻撃されてきた純文学=私小説。著者はその種の批判を読者(批評家)の立場に偏り過ぎたものとして、実作者の意識へと目を向ける。私小説に表現されているのは“そこに書かれている自分”ではなく、“それを書いている、そしてそれによって変化していく自分”なのだという。研究書としてはやや情念過多で、擁護の論理に甘いところがある気もするが、私小説蔑視がすっかり定着し、それすら陳腐化し風化しつつある今だからこそ、読む価値のある本だと思った。2022/09/21
akuragitatata
2
最近読んだ本の中では抜群に面白くて為になった。高見順の研究書なんだけど、極めて強力な柄谷および柄谷パラダイム批判になっている。私小説を再考する上でも重要な論点がおおい。文学をまだ信じる無邪気さを許せるかどうかは人それぞれあると思うけど、この流れはまた来てるきもする。2021/07/27
-
- 和書
- 飛騨の霊峰位山