内容説明
19世紀末、それは映像と戦争の世紀への序章であり、「帝国アメリカ」が目覚める瞬間に他ならない。「帝国」とは、中心も境界もない権力形態の別名であり、増殖する網状の欲望に他ならない。だが、今日、アメリカを表象する「メディア」こそが、網状のネットワークを全開する新世代の帝国ではないのか。本書に収めた13編の論考によって、無限に広がるメディア・ネットワークの起点を見つめ、19世紀末アメリカの文化学とその批評的可能性を再考する。
目次
第1部 アメリカ帝国の明暗法(一九世紀転換期アメリカの万博とオリエンタル・ダンス;ボディビル世紀末―ユージン・サンドウと帝国の「身体」;エドウィン・S・ポーターの世紀転換期アメリカ―初期映画と文化ナショナリズムの黎明;帝国崩壊のヴィジョン―『死霊のえじき』と〈スペイン的なもの〉)
第2部 ユートピア/ディストピア世紀末(世紀転換期アメリカにおける支配の欲望―オズ、サンタクロース、ユートピア;イグナティウス・ドネリーと世紀転換期アメリカの終末論的欲望―ディストピア、ポピュリズム、ハルマゲドン)
第3部 多層のアメリカ―絵画、写真、文学(アメリカン・アートの誕生―移民サダキチ・ハートマンと愛国的芸術論;西部表象と帝国主義のポリティクス―一九世紀末メディア論に向けて;燃え上がる枠組、消尽する描写―スティーブン・クレインにおける写真的無意識、近接性、死;逃亡の果ての帝国―エドガー・アラン・ポーの中編小説「ハンス・プファアルの無類の冒険」を再読する)
第4部 帝国のアーキテクチャ(文化ナショナリズムがかたちを整える時―世紀転換期のアイヴズからハイブラウ表象を追う;セオドア・ローズヴェルトとマーク・トウェインのアメリカの原理をめぐる闘争―一九世紀末アメリカ帝国主義、クロスメディア・バトル、カウンターとしての文学的想像力;英国ショップ・オーナーの「居場所」、あるいは、グローバル・シティズンシップという夢―消費の帝国アメリカの勃興?)
著者等紹介
塚田幸光[ツカダユキヒロ]
映画学、表象文化論、アメリカ研究/関西学院大学法学部・大学院言語コミュニケーション文化研究科教授/立教大学大学院博士後期課程満期退学/博士(関西学院大学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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