古典教育と古典文学研究を架橋する―国語科教員の古文教材化の手順

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古典教育と古典文学研究を架橋する―国語科教員の古文教材化の手順

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  • サイズ A5判/ページ数 342p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784909658265
  • Cコード C1037

内容説明

古文テキストの教材化は、こうして行っている。『宇治拾遺物語』を手掛かりに、古典教育研究、古典文学研究の架橋を試み、生徒たちの古典教育を考える。誰のための本?古典教育研究と古典文学研究の相互疎外状況を感じている人に。これから教員になる人と、すでに教壇に立っているすべての人に。古文テキストの教材化の手順を知りたいすべての人に。

目次

古典教育の課題
第1部 教材分析の方法―『宇治拾遺物語』の表現とその位相を考える(最新研究の調べ方―説話研究と『宇治拾遺物語』研究の現在;先行研究の調べ方―『宇治拾遺物語』の表現はどう分析されてきたか;表現を分析する―『宇治拾遺物語』の表現の実際;言語場を分析する―『宇治拾遺物語』が営まれた空間)
第2部 教材化の前に考えておきたいこと―古典教育の目標と古典教材を考え直す(中等教育における国語科教科書の中の古典教材の現状―説話教材を中心に;国語教育誌の中の“古典”―国語教室で創られる“古典”;公共性・主体・古典教育―50年代における益田勝実古典教育論;公共性・言説の資源・古典教育―60年代における益田勝実古典教育論)
第3部 教材化の構想―『宇治拾遺物語』を例に(教室の『宇治拾遺物語』;『宇治拾遺物語』の教材化にむけて;『宇治拾遺物語』の教材化案)

著者等紹介

井浪真吾[イナミシンゴ]
1985年滋賀県生まれ。2009年広島大学教育学部第三類国語文化系コース卒業。2011年同大学院教育学研究科教科教育学専攻国語文化教育学専修修了。2019年同大学院教育学研究科教育学習科学専攻教科教育学分野国語文化教育学領域修了。神戸龍谷中学校高等学校講師、教諭を経て、2019年現在、奈良女子大学附属中等教育学校教諭(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

虎哲

5
説話研究・『宇治拾遺物語』研究レビュー、教科書研究、益田勝実の古典教育論と盛り沢山。それぞれ有機的に結びついているようには見えないが、著者があとがきで語るように著者(そして国語科教員である私たち)の「出発点」となる著作だ。特に『宇治拾遺物語』説話配列に関する研究からの知見、複数の説話によって表現する主体の可能性について私の持つ1話完結という説話観が更新されたため興味深かった。著者が現場から発信する実践も追っていきたい。次の一歩として本書で多く参照されていた『益田勝実の仕事5 国語教育論集成』に手を伸ばす。2020/11/25

k.ichihara

2
説話研究者による中等古典教育に対する提言。説話が入門教材の単なる笑話とされ、内容的価値が顧みられていないことを批判する。宇治拾遺がその排列によって仏教を問い直す意図をもっていることを明らかにする。そして、その研究成果をもとにした教材提案を行っている。これから受験のための古典教育から脱して、こうした古典探求的なことは必要だ。それをやるのにはかなり根本的なカリキュラムの改革が必要であることも確か。2021/01/02

むむむ

1
購入してから幾星霜。ようやく重い腰が上がり、読了。理論や先学についても重厚な記述で、少ししんどい。結局のところ、古典の授業はどうあるべきなのか、五里霧中が三里霧中にはなったかな。 説話を扱うにあたり、個別の話を取り上げるだけではなく、その配列から見えてくるものは何か、同根の他の話と比較して見えてくるものは何かなど、切り口はたくさんある。一方で、時間数が限られる中で、何ができるのかできないのかを精選しなければならない。2023/01/16

チホンヌ

0
やってみたい、できたらいいな、の理想が詰まっている本。時間数やら試験やらいろんな障壁があるけれど、国語とは一体何をする科目なのか、どんな力をつけることを目指したらよいのか、根本的な問いを持ち続け更新し続けたいと改めて思わされる。国語と一口に言ってもこれは「古典」の問題。不本意にも「不要」が叫ばれてしまう世の中だが、権威に頼らず、かつふんわりとした感情論や愛国心の文脈ではない意義を見出していきたいなと思う。(古典を学び教えている「私」という存在の社会的意義の問題でもあるし…)言い訳せずに頑張ろう。

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