内容説明
日本が戦った大東亜戦争。この大東亜戦争と激動の昭和史を自己の一身で象徴できる一人の人物がいる。その名を加瀬俊一という。
目次
第1章 生い立ちと留学
第2章 外交の中枢へ
第3章 動乱のヨーロッパへ
第4章 日米開戦へ
第5章 終戦工作に向けて
第6章 託された天皇の親書
第7章 ミズーリ号の残照
著者等紹介
福井雄三[フクイユウゾウ]
東京国際大学教授。1953年7月、鳥取県倉吉市生まれ。東京大学法学部卒。企業勤務ののち、大阪青山短期大学教授を経て、2012年4月から現職。専攻は国際政治学、日本近現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
三代目 びあだいまおう
248
日経新聞の広告を見て即買いしました。第二次世界大戦前後に外交官として活躍した加瀬俊一さん、私は存じ上げませんでした。外務大臣など表で活躍する方達の右腕的な存在。俊英で語学堪能、更には文章センスが抜群。大戦に至る経緯や戦中戦後が詳しく述べられる。歴史に諸説はあるものだがかなり興味深く読める!陸軍と海軍の相容れない独自の国防戦略、別個に独立した二つの統帥系統、要するに陸海軍の実質上の分立。これは後の日本に大きな不幸を生んだ。これは全く正しいと思うし、この時代の関係者達のリアルが手に取るように伝わる良書‼️🙇2020/04/08
shincha
19
加瀬俊一という方がいらして、戦前戦後の日本のためにどのように考え、どのように行動したか、外交という最も難しい立場で、日本の国益のために何が最も良い選択をであるかを的確に判断し行動したかを丁寧に書いてありました。ハルノートのことや、当時にアメリカでの排日、侮日運動については、知っていましたが、加瀬俊一という方がいらしたことも、日米開戦に対して、最後まで反対し続けた外交官がいたことも本書で初めて知りました。加瀬氏の著書を探してみます。2020/10/12
BluePlanet
11
★5.0(3.0)2020年4月発行。大東亜戦争と激動の昭和の時代、日本の外交官で活躍した加瀬俊一。最年少で外交官試験に合格し、ハーバードに留学。30代後半で松岡洋右、重光葵、東郷茂徳外相の秘書官として活躍。特に第二次世界大戦中はヒトラーやムッソリーニ、スターリン、チャーチルらとも得意な英語で渡りあった外交官。この伝記の中では、今だから書ける戦時中の首相と陸軍、海軍、さらには天皇陛下に関するエピソードには驚きの連続。外交という世界で彼の当時の活躍により、今の日本があると言っても過言ではないだろう。2020/05/31
Mark
9
一気に読了しました。昭和初期の激動の時代、超優秀な外交官として活躍した加瀬俊一の功績を紹介しています。 彼の英語力は、多くの外交官の中でも抜きんでており、西洋、東洋の歴史にも通じていたそうです。東郷茂徳、重光葵、松岡洋右、吉田茂という歴代外務大臣に仕え、著名の通りに、対米宣戦布告も、降伏受諾も彼の起草によるものです。著者の筆は、山本五十六、近衛文麿のような人間に対して厳しく、容赦がありません。歴史のifは、現代にもつながる教訓だと思いました。2020/07/07
乱読家 護る会支持!
5
【はじめにより引用】 『加瀬俊一は昭和の年号が明けたのとほぼ同時期に、その輝かしい経歴と青年期をスタートさせ、昭和二〇年九月二日、東京湾に浮かぶ米戦艦ミズーリ号上で使節団員の一人として日本降伏に立ち会うまでの二〇年間、日本外交の中枢にあって、日本の、いや世界の歴史の生き証人となった。日本の運命を決した数々の局面に立ち会い、関わり、四二歳の男盛りで、精鋭の外交官として文字通り身命を賭して終戦工作に携わた。その意味において、彼の生きざまそのものの中に激動の昭和史が集約されているといってよい。』2020/09/18