内容説明
捉えられない「時間」をめぐりいま・ここに留まり自らの言葉で対話を挑む類例なき哲学!
目次
第1章 寺山修司“書を捨てよ町へ出よう”―映画における音楽の機能(寺山修司とはだれか;寺山修司と芸術経験の変容;断ち切られるプロット;四つのシーン;音楽が開く別な場所)
第2章 小津安二郎の時空表象(時空とその変容;小津映画の画面構成とその特徴;溝口健二の時空;断片化した空間と滞留する時間)
第3章 是枝裕和“歩いても歩いても”―時間の淀み(現在に潜む過去と「小さな物語」;たった一日の物語;「普通」という言葉;日常に走る亀裂)
第4章 可能性としての「用即美」・柳宗悦―ものがある場所(「有用性の蝕」と「用即美」という神話;柳・民芸思想の歴史的布置;個人の没落と機能主義;「用即美」を解体する)
第5章 夏目漱石『道草』が書かれた場所(『草枕』・「非人情」の世界;「だらしない自然」のリアリズム;「人情」対「非人情」を超えて;「盲動」する眼差し;『道草』の眼差しと未完了の過去;「人格」が解体され続ける世界としての金銭;断念が開く場所)
著者等紹介
伊藤徹[イトウトオル]
1957年静岡市に生まれる。1980年京都大学文学部卒業。1985年京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。現在、京都工芸繊維大学教授(哲学・近代日本精神史専攻)。京都大学博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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さなゑ
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要再読。2023/04/17
takeda
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小津安二郎と溝口健二、また是枝裕和の映画論が面白かった。 小津安二郎の映画の中で開け放された窓は、必ずなにかの障害物に遮られて、景色を見ることができない。また、人物の運動は常に戸外や部屋への移動によって、すぐに消滅する。始点と終点が消された運動は、常に「見えない」部分を生む。 それに比べ、溝口の場合は窓の外は開け放たれ、俯瞰した状況から人物の運動を眺めることができる。そして、運動はカメラによって追従され、常に運動を見続けることができる。そうした映画上の空間設計が、物語の有限性と無限性へと接続される。2023/01/20
ShiradoMasafumi
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強引に読了。時間というよくわからないものへの興味と、取り上げられている人物や作品が好みそうだったので読んだが、小津安二郎の章はスイスイ楽しめた一方で柳宗悦の章はよくわからなかった。民藝は好きなため僕の目が曇っていたのもあるかもしれないが、何かをディスっているようなのにそれが何かすらつかめなかった。「有用性の蝕」という言葉が繰り返し出てくるので22P付近をはじめ序章はしっかり読み込んでおいたほうが良かったかもしれない。2020/12/27