内容説明
明治六年政変(征韓論政変)は、国内政局から論じられることが多く、その国際環境との関わりについては良くわかっていない。アメリカが新たな東アジア政策を模索するなかで、慶応三年、徳川慶喜政権は公議機関に支えられつつ米朝間の仲介と日朝関係の革新に踏み出そうとしていた。公議と対朝鮮外交は幕末の二大課題であったが、それらを継承した明治新政府は、戊辰戦争からの旧雄藩帰還将兵の暴発を恐れて外征へと傾斜してゆく。左院や地方官が公議と立憲制を要求するなかで、征韓・征台の主導を画策する薩土肥勢力と、薩長出身者のうちの「開化」勢力が激突したこの政変を、外交・内政の両面から新たに分析する。
目次
1 幕末維新期の外征論と公議論
2 戊辰戦争
3 アメリカ登場
4 新政府の外交と辛未洋擾
5 留守政府の外征政策
6 明治六年政変(征韓論政変)
著者等紹介
大島明子[オオシマアキコ]
1963年生まれ。1995年から晃華学園中学校高等学校教諭。2013年より晃華学園中学校高等学校、東京女子大学非常勤講師。都立高校でも教える(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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パトラッシュ
105
幕末から明治初期の政治的重大事件は、いずれも国際外交と深い関係があった。徳川慶喜はシャーマン号事件で緊張するアメリカと朝鮮の関係を仲介しようとしたが、外交権奪取を図る薩長は王政復古の大号令を出した。書契問題で揉めた新政府の対朝鮮外交には、アメリカの外交官が助言を与えていた。岩倉使節団派遣中の留守政府は、戊辰戦争を戦った帰還兵が暴発するのを恐れ朝鮮と台湾への外征論に傾斜し明治六年政変につながる。政治が武士以外にも解放された公議の時代だからこそ、内政の不満を外交に転嫁する政治手法が成立する様子が浮かび上がる。2024/06/28
takao
1
ふむ2024/08/26