出版社内容情報
裏目読み批評で定評ある筆者による新事実の発掘と大胆・痛快な円谷英二の世界と映画史の新たな解釈。ゴジラの起源は砧撮影所だった――。
後発の映画会社東宝は、軍の教材映画・戦意高揚映画を積極的に受注することで経営の安定化を図り、他社に優先して資材などを供給される関係を築いた。
その舞台が砧撮影所に中にあった航空教育資料製作所であり、円谷英二はその指導者だった。
ゴジラがどこかユーモラスで哀愁を帯びているのは、ゴジラがまさに円谷英二その人だからである――。裏目読み批評で定評ある筆者による新事実の発掘。大胆・痛快なかつてない円谷英二の世界と映画史の新たな解釈。
1 ゴジラの故郷はどこか
2 ゴジラとは何か
3 円谷英二という人
4 東宝入社までの円谷英二
5 映画産業ができるまで
6 東宝の複合性
7 1930 年代以降の日本映画界の状況
8 戦意高揚映画は観られていた
9 合資会社航空教育資料製作所の設立
10 松崎啓次という異才
11 航空教育資料製作所の意義
12 円谷英二の戦後 敗戦直後の日本と東宝スタジオ
13 敗戦直後の東宝スタジオの変貌
14 ゴムホースの水を浴びて
15 『ゴジラ』の大成功
16 1954 年という時代
17 『空の大怪獣ラドン』『地球防衛軍』『モスラ』『世界大戦争』
18 日本の原爆と昭和天皇
19 特撮怪獣映画における音
20 円谷プロの設立と航空教育資料製作所の終焉
21 ゴジラ、ウルトラマン、『シン・ゴジラ』を貫くもの
22 円谷英二の功績
指田文夫[サシダ フミオ]
指田文夫(さしだ ふみお)
大衆文化評論家。1948年3月東京大田区池上生。1972年早稲田大学教育学部英文科卒。同年から2012年3月まで横浜市役所勤務。1982年から『ミュージック・マガジン』に演劇評等を執筆。1991年ウォーマッド横浜を企画。2008年国連アフリカ開発会議記念イベント・高校生ミュージカル『やし酒飲み』を企画。
著書に『小津安二郎の悔恨―帝都のモダニズムと戦争の傷跡』(えにし書房・2015年)、『黒澤明の十字架―戦争と円谷特撮と徴兵忌避』(現代企画室・2013年)、『いじわる批評、これでもかっ! ―美空ひばりからユッスーまで、第七病棟からTPT まで―ポピュラー・カルチャーの現在』(晩成書房・2003年)がある。
内容説明
ゴジラの起源は砧撮影所だった―。後発の映画会社東宝は、軍の教材映画・戦意高揚映画を積極的に受注することで経営の安定化を図り、他社に優先して資材などを供給される関係を築いた。その舞台が砧撮影所にあった、航空教育資料製作所であり、円谷英二はその指導者だった。
目次
ゴジラの故郷はどこか
ゴジラとは何か
円谷英二という人
東宝入社までの円谷英二
映画産業ができるまで
東宝の複合性
一九三〇年代以降の日本映画界の状況
戦意高揚映画は観られていた
合資会社航空教育資料製作所の設立
松崎啓次という異才
航空教育資料製作所の意義
円谷英二の戦後 敗戦直後の日本と東宝スタジオ
敗戦直後の東宝スタジオの変貌
ゴムホースの水を浴びて
『ゴジラ』の大成功
一九五四年という時代
『空の大怪獣ラドン』『地球防衛軍』『モスラ』『世界大戦争』
日本の原爆と昭和天皇
特撮怪獣映画における音
円谷プロの設立と航空教育資料製作所の終焉
ゴジラ、ウルトラマン、『シン・ゴジラ』を貫くもの
円谷英二の功績
著者等紹介
指田文夫[サシダフミオ]
大衆文化評論家。1948年3月東京大田区池上生。1972年早稲田大学教育学部英文科卒。同年から2012年3月まで、横浜市役所勤務。1982年から「ミュージック・マガジン」に演劇評等を執筆(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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