著者等紹介
内藤礼[ナイトウレイ]
1961年広島県生まれ。美術家
鈴木るみこ[スズキルミコ]
編集者・文筆家。出版社勤務を経てフランスに進学、帰国後フリーランスとなり、翻訳、編集、執筆をおこなう。雑誌媒体をメインに活動
長野陽一[ナガノヨウイチ]
写真家。沖縄、奄美諸島の島々に住む10代のポートレイト写真「シマノホホエミ」を発表後、全国の離島を撮り続ける。国内外で個展やグループ展を開催、国際展にも参加(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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アキ
63
直島「きんざ」・豊島美術館「母型」で小さな白い球形のインスタレーションと白く小さな皿状のもの、白い細い糸とリボンを展示する内藤礼。「地上はどんなところだったか」をテーマに、沖縄の最果ての地、奥への旅を通じて、すべてがすでに与えられているのに、なぜひとは作ろうとするのか、アートはどこからくるのかを問う。「自分の内部の自然をもっとも感じるのは、死へ向かおうとするちからがわたしを超えて現れようとするとき。でも、自分は死のほんとうのことを知らない」沖縄の墓は死者の生き続ける霊魂が永遠に過ごす住居なのだ。2019/09/03
kaz
4
内藤さんのつくる作品の背景をうかがい知ることができた。目には見えなくても、聞こえなくても、この世に確かに存在するなにか。それらのものにこの世に生きてあることはそれ自体で幸福なことである、と伝えられるのか。自我を捨て、それらのものに混じり合い、透明な存在になること。改めて内藤さんの作品を味わいたくなる。沖縄の奥にも行ってみたい。2018/12/22
aof
3
自然を前にするといつもアートってなんだろうと思ってしまう。この美しさには敵わないのに、なんで心が惹かれるアートがあるのかなぁって。 内藤さんは空を見て、空と一つになれないって引き裂かれながらも、地上に生を受けた自分の身体性を感じながら作品に向かってる。すごいミニマムというか、見ているものが繊細で、ちいさいものに焦点が当たってるかんじ。 内藤さんの作品は、いつもざっくりと物を見てしまうわたしに、すっと差し出される眼鏡みたいに思う。気づかず通り過ぎてたけど、こんなに素敵だったんだ!みたいな。2020/09/08
酒井ちゆき
1
見ることが祈りに似ること2015/11/22
邪馬台国
0
沖縄に残る奥という集落を旅した記録。日本のはじっこの奥地にも確かに人は生きていて、それが地球を俯瞰するような視野のアートと結びつくのは興味ふかかった。2015/03/12