内容説明
なぜ自裁したのか。独力で保守の思想を確立した西部邁の、近代人としての逆説を生きて逝った「自死の思想」を収録。
目次
第1部 自死について(死の意識;死の選択;死の意味;死生観が道徳を鍛える;「死に方」について考えていると、わずかな余生についての「生き方」をも考えざるをえなくなり、困ったことに書き残したものが少しはあると思わずにおれなくなる;後期高齢者の独個心―どのように死ぬかの「具体策」にしか関心が持てない)
第2部 「妻の死」について(おわりに/生の誘拐が死を救済する;「殺して、ころして、コロシテ」;「みんな死んでしまった」)
自死の思想(富岡幸一郎)
著者等紹介
富岡幸一郎[トミオカコウイチロウ]
1957年東京生まれ。文芸評論家。関東学院大学国際文化学部比較文化学科教授、鎌倉文学館館長。中央大学文学部仏文科卒業。第22回群像新人文学賞評論部門優秀作受賞。西部邁の個人誌『発言者』(1994~2005)、後継誌『表現者』(2005~2018)に参加、『表現者』では編集長を務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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犬養三千代
6
今年1月21日に西部邁は予てからの信念に基づき手助けを借りたものの本懐を遂げた。 自分の精神が死んだ(認知症や身体障害)ときには人間も死んでいるものとみなした考えはともすれば障害者団体なもから非難もされよう。 されど、ひとそれぞれ意思は尊重されたほうが良い。 随分前に何冊かの著作を、読んだ。もう一度読み返したい。2018/06/27
G
1
生と死を考えることの平衡から道徳を捉えなければいけない。いつからメメント・モリを忘れていた? 生き延びること以上に大事なことはないと構えたとたんに、生命は一切の価値を打ち砕く石臼に変じたのである。(p48)2022/01/17
しんしん
1
いま「尊厳死」と呼ばれているものは、本当にその人の「尊厳」が、その時に保たれているのだろうか。 著者が入水自殺で亡くなったとのニュースを聞いたとき、太宰や三島が思い浮かんだ。 著者はずいぶん前からずーと自分の死について考えていたとあり、すこしおどろき、また、よく考えておられたんだなあと少しの納得感を感じた。 死について考えることは、生について考えることとの考えは、はっ、とさせられた。 ただ長寿なだけがハッピーなのではない、本当にその本人に尊厳のあるうちに、尊厳死があってほしいと思った。2021/04/13