内容説明
関東大震災後のモダニズム全盛期に隆盛をきわめた労働争議と呼応するように、「篭の鳥」と呼ばれた娼妓たちが、自らの生と性を奪還するべく立ち上がった―青森、広島、佐賀、福岡など各地の史料を丹念に読み、無名の女性たちの実像に肉薄する。女性史の空白を埋める貴重な成果。図版多数収録。
目次
第1章 芸妓・娼妓を取り巻く環境(遊廓の「近代」の始まり;廃娼運動の誕生;廃娼運動への批判的視座)
第2章 遊廓のなかの女性たち(閉ざされた門のなかで;識字率の上昇と情報の流入;遊廓を離れてから)
第3章 一九二六年の大転換(遊廓の改善という世論の高揚;新聞にあらわれる「娼妓」たち)
第4章 実力行使としての逃走(逃走の時代の幕開け;広島、弘前、ふたつの直接行動;逃走の時代のあとに)
第5章 逃走からストライキへ(凋落する遊廓;大阪、松島遊廓金宝来のストライキ;佐賀、武雄遊廓改盛楼のストライキ;遊廓のなかの女性たちが「求めたこと」)
著者等紹介
山家悠平[ヤンベユウヘイ]
1976年、兵庫県に生まれる。現在は、大手前大学学習支援センターに勤務。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。専攻は、日本近代女性史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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きいち
31
人の持つ主体的に生きようとする意志と行動。その確かさを改めて感じさせてくれる素敵な本だ。◇社会問題とされるにせよ、文化的伝統を語られるにせよ、もちろん実用情報のうえでも、娼妓の一人ひとりはあくまで視られる対象でしかない。そんな彼女たちは昭和初年、各地で待遇改善や自主廃業を求めて立ち上がっていた。楼主との交渉に支援者とのズレ、新聞を通した連帯…。著者はそんな行動のディティールを、乏しく、偏見に歪んだ史料の中から丹念に拾い上げ、よみがえらせていく。◇そして史料はなくとも、彼女たちの遊郭を出た後の普通の人生も。2015/05/07
qoop
5
娼妓=賤業、醜業であると喧伝することで廃業を推し進めようとする運動家たちは、娼妓にとって救い手であると同時に貶め手でもあり、両義的な存在ではなかったか…という論考は、近代日本の女性解放史を読み直す新たな視座を与えてくれる。大正〜昭和初期の娼妓たちも籠の鳥であったのは間違いないが、だからといって主体性を剥奪されるものではない。ごくシンプルな指摘だが、資料からそれをあぶり出すのは容易なことではなかったろう。刺激的な好著。2015/07/31
makoppe
4
1920〜30年代の遊郭での女性たちの闘争やストライキを描いた本だが、いまの私に突き刺さる部分があった。それは支援者、労働運動側の立場である。これまで活動家の側がピックアップされてきたがそれはいかがなものなのだろうか。活動家側は廃業を求める。しかしながら娼妓がストライキを始めたきっかけは条件の改善であったはずなのだ。そのように運動側の理屈だけを優先するやり方は良いのか?いや確かに社会的な意味を考えるとそうなのかもしれないが、「強くなれ」とばかりいう運動は自らの目的をなし得ることは困難なように思われる。2016/02/20
どらちゃん
4
意思があるところに行動があるっていうのを感じました。女性史には今まで興味が無かったけれど、これからはいろいろと読んでみたいと思いました。2015/06/06
てくてく
3
1920‐1930年の新聞に掲載された遊郭およびそこで働く人々に関する資料分析を通じて、公娼の実態、特に、労働環境改善などを求めることもあったことを描き出している。廃娼運動などで、その運動の対象となった女性たちが描かれることはあっても、その女性の声を拾いあげ、彼女たち自らの願いなどをまとめた点が興味深かった。また、表紙とカバーも素敵。2015/07/23