内容説明
“機械仕掛けの神”、“作業仮説としての神”これらの神を信奉する“宗教の時代”はまったく過ぎ去った。世界はいったい何処に向かうのか―この難題を前に、多神教的風土の日本にあって“笑い”を神学のテーマに現代キリスト教を問い、その活路を幅広く探究した書。
目次
第1部 イエス・言葉・身体(笑いながら死ぬために;知のくみかえ;身体は笑いの器)
第2部 神学という知の可能性(仏教とキリスト教の対話;自然神学は有効か(2001年以降)
悪の問題)
第3部 超越を超えて(根源語としての公案;神の愚かさは人よりも賢い)
著者等紹介
長谷川正昭[ハセガワマサアキ]
1944年東京生まれ。立教大学文学部フランス文学科卒業。卒業論文はシモーヌ・ヴェイユ。全寮制の聖公会神学院(3年課程)卒業。日本聖公会東京教区司祭に按手(叙任)される。主教座聖堂聖アンデレ教会の副牧師を皮切りに神愛教会、東京聖マルチン教会、渋谷聖ミカエル教会、大森聖アグネス教会、東京聖三一教会、真光教会の牧師を歴任。2014年定年退職。その間、1975年より1年半、釜山教区蔚山教会にて開拓伝道に従事。2000年より2004年まで神戸教区松蔭女子学院大学チャプレンとして勤務。定年退職後は東京教区城南グループ協力司祭として非常勤の働きを続ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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林原誠
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私もインスタはやっているが(文字があまりないから)、FacebookやSNSのつまらなさはmin()関数のように尖ったことを書けないから。それで多くの人が言っていることだが、テクノロジー、SNSの進歩に反比例して、人はなるべく小さな趣味や仕事のユニットで尖った話、 いわばmax()関数を求めるようになる(鋭い人は)。そしておそらく人は無人島に行ったり、どんどん内面化し、哲学や宗教に行く(by高城剛)。この本は佐藤優おすすめの聖公会(イギリス国教会)の牧師が書いた、最新の東洋宗教とキリスト教の話。2020/09/21