内容説明
ドゥルーズ=ガタリの思想は、この時代の変動をいかに捉えているか。ミクロ政治学として知られてきたD‐Gにおけるマクロ政治学の力を解放すべき時代の到来を告げる画期的力作。
目次
第1部 原‐暴力―国家という前提(史的唯物論と国家‐形成の分裂分析;捕獲―国家力能の本源的蓄積概念のために)
第2部 外‐暴力―戦争機械仮説(遊牧論―戦争機械仮説へ向けて;定式と仮説―国家による領有と戦争力能の系譜学)
第3部 内‐暴力―資本主義公理系(資本の公理系―諸国家と世界規模の蓄積;マイノリティへの生成変化、革命的なものへの生成変化)
結論 ミクロ政治は起こらなかった
著者等紹介
シベルタン=ブラン,ギヨーム[シベルタンブラン,ギヨーム] [Sibertin‐Blanc,Guillaume]
1977年生まれ。パリ第八大学教授。ドゥルーズ=ガタリの政治哲学の専門家として国際的に知られる政治哲学者
上尾真道[ウエオマサミチ]
1979年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(人間・環境学)。現在、京都大学ほか非常勤講師。専攻、精神分析理論、精神医療史、フランス現代思想
堀千晶[ホリチアキ]
1981年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科人文科学専攻博士課程単位取得退学。現在、早稲田大学、立教大学ほか非常勤講師。専攻、フランス文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Bevel
2
国家の定義を考えるときに、国家の外にあるものの形象を使うという前半の議論は好きだけど、後半はうまく乗れず。著者は「資本主義が本来は豊かなわれわれの生活を搾取しているので、資本主義に抵抗しなければならない」みたいな考え方を補強するものをドゥルーズ=ガタリに求めているけれど、そもそもそういう言葉遣いを一新して見える風景を変えたいというのが、ドゥルーズ・ガタリの試みではなかったか。マイノリティをプロレタリアートと同一視して、マイノリティ同士の連帯とか、社会運動の戦線をずらすとか問題にするのってなんかなあ。。2020/03/29
ne_viderem
1
「ドゥルーズ=ガタリの政治思想はひどくないがしろにされている。ときにいわゆるミクロ政治的アプローチのために後回しにされている。ときに言及されたかと思えば、フーコー、ネグリ、ランシエールなど同時代の思想家のために頼まれてもいない思弁を補う役を担わされている…」 というわけで、D=Gに即してD=Gを、しかも、まずマクロ政治論的側面から読解を始めようという試み。2018/07/23