内容説明
日本統治時代の台湾に、こんな輝かしい野球チームを育てた監督がいた!台湾野球が幕開けを迎えたばかりの1931年、弱小チーム嘉義農林学校、略称「KANO」を甲子園に連れていった一人の日本人監督がいた。強豪・松山商業の監督を務めた近藤兵太郎(愛媛県松山市出身)である。
目次
序章 顕彰碑「球は霊なり」
第1章 兵太郎少年、松山商業野球部へ
第2章 麗しの島「台湾」へ
第3章 北回帰線の街「嘉義」
第4章 さらば松山商業野球部監督
第5章 原住民族野球チーム「能高団」
第6章 嘉義農林学校野球部
第7章 甲子園大会へ
第8章 「天下の嘉農」
第9章 台湾よ!さらば
終章 嘉義の街を訪ねて