内容説明
あらゆる〈言語〉論に、不満がのこった。構造言語論も分析哲学も、現象学や解釈学や記号論の展開する言語論も…、結局、言語は、表出された場のゲームかドラマと考えている。どんな沈黙も非言語もテクスト化されるという前提からしか、あらゆる〈言語〉論ははじめない。書かれざる余白と沈黙をどんなに含んでいても、それらは書き足される可能性の未定形なすがただというのだ。ほんとうにそうだろうか。近代にはいって、日本の詩は、どこを経てどこへ行ったのだろうか。それが、私小説作家や名文家といわれる小説家たちの文体へ拡散し、住みついていったとして、近代化過程にあって、詩を書き文章を綴った人たちそれぞれの内部で、どんな逸脱があり、なにが遺され、なにが喪われていったのか。いいかえれば、日本の近代が、その言葉の領域で肥大させていったもの(その到達点に現在があるのだが)、肥大させていったときに寄生したもの、喪われたもの、これをみさだめておきたい。
目次
揺れる言葉
北一輝(詩人輝次郎の転位;北一輝の独学)
高山樗牛(微熱のある文章)
二葉亭四迷(断念の彼方―晩年の二葉亭四迷を書く 1;牛の涎のように―晩年の二葉亭四迷を書く 2;虚構と平凡のはざまで―晩年の二葉亭四迷を書く 3)
岡倉天心(〈アジアは一つ〉をめぐって;その思想が投げかけるもの;明治37年晩秋―翳のある肖像;年譜論―そして出生地神話の問題)
根岸党(厳粛なる遊び)



