内容説明
忠敬を「隠密がましき」と断ずる加賀藩の中、石黒信由は忠敬といかにして会えたか。「村高、家数等を問うとも領主より指図なしとて云わず、そのほか山、島につき問えども云わず、ようやく測量地の村名を聞くのみ」と忠敬は加賀藩領で記すが、それだけではなかった。加賀藩天文御用を務める西村太冲の測量協力の申し出を受けて加賀藩に嘆願書を書きながら、藩の手厳しい拒否に出会ってもいた。そんな情勢の中、加賀藩の藩吏の一人である信由は、いかにして忠敬と放生津宿で会見できたのか。
目次
伊能忠敬の越中国沿岸測量記(忠敬ら越中に入る;越中側の受入れ体制;氷見の宿舎で星の観測;氷見の宿舎での作業 ほか)
史料編(伊能忠敬測量日記(享和三年五月・七月~八月)
『加賀藩史料』第拾壱編
「高畠厚定職事日記」(金沢市立玉川図書館蔵)
「杉木文書」(富山県立図書館蔵) ほか)
感想・レビュー
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やいっち
60
上記のように、本書は伊能忠敬ら一行による越中測量記の書。特に石黒信由との絡みがメインである。石黒信由は、越中・射水出身の和算家・測量家、天文家。本来なら加賀藩の影響の強い越中では石黒は伊能忠敬に会えるはずもなかった。だが、実際には会っている。にも関わらず伊能の記録には石黒の記述はない。1800年、55歳という当時として高齢から日本測量の行脚の旅に出た。持病の喘息に苦しめられながらの旅だった。2020/08/18
yanapong
0
伊能忠敬の第四次測量を、越中国の分を中心に詳述する。第五次以降も概説。図版や史料翻刻も多く掲載。2012/05/16
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