伝統の探求“題詠文学論”―俳句で季語はなぜ必要か

伝統の探求“題詠文学論”―俳句で季語はなぜ必要か

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  • サイズ B6判/ページ数 255p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784904800423
  • NDC分類 911.36
  • Cコード C0092

目次

第1章 近代の黎明―子規が作ったもの
第2章 明治の新詠法
第3章 近代題詠理論―花鳥諷詠
第4章 伝統と反伝統
第5章 平明と晦渋・難解
第6章 客観と主観
題詠文学論

著者等紹介

筑紫磐井[ツクシバンセイ]
昭和25年1月14日、東京都に生まれる。俳誌「沖」を経て、「豈」同人。現在、「豈」発行人。著書に『飯田龍太の彼方へ』(平成6年、深夜叢書社、第9回俳人協会評論新人賞)、『定型詩学の原理』(平成13年、ふらんす堂、加藤郁乎賞)など。俳人協会評議員、日本文藝家協会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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かふ

16
俳句が題詠と花鳥諷詠という虚子の俳句について解説した本。俳句がなぜ季語が必要なのかというのは、虚子の俳句の思想なのだが、正岡子規は無季の俳句も認めていたのだ。だから季語のある俳句を認めるとかそれ以前になにゆえ虚子は無季俳句を排除したかということなんだと思う。その理由はあいまいで、つまり虚子の伝統俳句は新興俳句を排除した事実があり、それは日本文学報国会において翼賛的な言動で彼らを排除したからだ。そこが明らかにされない以上虚子は支持できないと思う。ただ虚子の俳句はなるほどと思うが。2025/05/27

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