内容説明
濱口竜介監督の五時間十七分におよぶ話題作『ハッピーアワー』(二〇一五年)。その異例ともいえる上映時間にこめられた密度の濃い映画的仕組みを、丁寧かつスリリングに解き明かし、映画史の中に位置づける。書下し。「映画」の未来をも問いかける、渾身の『ハッピーアワー』論。
目次
第1章 重心(物語の要約;「心理表象主義」を超えて;「重心」 ほか)
第2章 台詞(「台詞が演者をサポートする」―『東京物語』の原節子;純と「せやな」;桜子と「わからへん」 ほか)
第3章 変化(「自己認識」の変化;セルフモニタリング;撮影現場におけるセルフモニタリング=「自己吟味」 ほか)
『ハッピーアワー』のあとに見たい映画リスト
著者等紹介
三浦哲哉[ミウラテツヤ]
青山学院大学文学部准教授。映画批評・研究、表象文化論。1976年郡山市生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程修了(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
しゅん
12
「震災後の映画」として、『ハッピーアワー』を解釈する。それは、いままで拠り所にしていた条件が崩れた後で、新しい立ち場を作り上げる映画であるということ。地盤としての揺らぎは、映画産業の揺らぎ、そして作品内における「重心」の揺らぎに重ねられる。相対的な新しさではなく、過去をすべて新しくするような絶対的な新しさが本作にはあると著者は語る。カサヴェテスやルノワール、ブレッソンや小津の映画技術や演出法は、映画史的伝統に連なるためでなく、現在に立ち向かうために用いられている。過去と現在との関係が、本書の大きな主題だ。2022/03/17
awe
4
「見終えたあと、外の世界がまあたらしく見えてくる」映画こと『ハッピーアワー』についての一考察。あの映画における人間関係のあり方は「重心」である。鵜飼のワークショップであからさまにも示されたように、互いの身体同士は「重心」において均衡している。前半の4人の、流れるようなコミュニケーションがそれをよく示している。しかし、純の秘密が明らかになることによって、その均衡が崩れる。そしてそれぞれの周囲の人間関係も、結局一時的な危ういバランスのもと成立している(そして時に崩れる)ことが明らかになる。◆しかし、「重心」が2025/02/15
kentaro mori
4
私たちは今まであまりにも「理由」を、「説明」を、求めすぎていたのかもしれない。この映画は、感情の変化をそうしたものに依らずに描くことがスリリングなものだと、そう、人間はスリリングな存在なのだと気付かせる。ー「『ハッピーアワー』は暗示や比喩よりもはるかに、換喩によってこそ、観客の知的な推論を触発する。いま見えている部分よりも広いものが、まだ見えていないだけで潜伏し、見えている部分を下支えしている、という前提のうえですべてのできごとは起きる。」ー「台詞が演者をサポートする」・・・改めてその脚本力に驚嘆、脱帽。2018/05/28
yoyogi kazuo
2
濱口竜介監督の傑作大長編『ハッピーアワー』を見た後にこの本を読むことはテキストの快楽を二重に味わうことであり、映画を見た後で外の世界がまあたらしく見えた体験を再び身体に沁み込ませることのできる体験でもある。2022/02/26
カネコ
2
映画『ハッピーアワー』の感覚的にか捉えられなかった“凄み”が論理立てて言葉になってて、あらためて脚本や期間、制作工程の大胆さと繊細さを完備した映画の完成度に唸らされる。鵜飼くんとCUREの間宮が線で結ばれていたと知れただけでも読めて良かった。2018/10/29