戦争の思い出―日本占領下で生き抜いたフィリピン少女の物語

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  • サイズ B6判/ページ数 194p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784904678862
  • NDC分類 936
  • Cコード C0022

出版社内容情報

太平洋戦争中、日本占領下のフィリピンで一人の少女が経験した3年余。恐怖と憎しみの中でも、日本人兵士との人間らしい交流があっ…1941年、戦争が始まった。

太平洋戦争の中、日本占領下のフィリピンで、地方都市に暮らす、一人の少女が経験した3年余。恐怖と憎しみの中でも、日本人兵士との人間らしい交流があった。

当時の日記からよみがえる戦争の実相。もう一つの「この世界の片隅に」。

はじめに

本書によせて リカルド・トロタ・ホセ



第1章 フィリピンに戦争がやってきた 1941年

第2章 占領と混乱の時代に適応する 1942年

第3章 パナイ島を離れ、首都マニラへ 1943年

第4章 ビガアでの忘れらられない思い出 1944年

第5章 戦争が終わり、新生活に踏み出す 1945年



略年譜



解説 日本占領下の「日常」と「非日常」永井均



訳者あとがき

ヘレン・N・メンドーサ[ヘレン エヌ メンドーサ]
著・文・その他

澤田 公伸[サワダ マサノブ]
翻訳

永井 均[ナガイ ヒトシ]
解説

内容説明

1941年、戦争が始まった。太平洋戦争の中、日本占領下のフィリピンで、地方都市に暮らす、一人の少女が経験した3年余。恐怖と憎しみの中でも、日本人兵士との人間らしい交流があった…。当時の日記からよみがえる、戦争の実相。

目次

第1章 フィリピンに戦争がやってきた―一九四一年
第2章 占領と混乱の時代に適応する―一九四二年
第3章 パナイ島を離れ、首都マニラへ―一九四三年
第4章 ビガアでの忘れられない出来事―一九四四年
第5章 戦争が終わり、新生活に踏み出す―一九四五年

著者等紹介

メンドーサ,ヘレン・N.[メンドーサ,ヘレンN.] [Mendoza,Helen N.]
1925年、サンボアンガ市生まれ。税関に務める父親の転勤で1941年4月にイロイロ市に転居し、イロイロ国立高校に編入。同年12月に太平洋戦争が勃発してまもなく学校が閉鎖される。終戦後にマニラ市のファー・イースタン大学の高校課程に編入、卒業し、そのまま大学課程に進学する。同大学を卒業後はアメリカに留学して英米文学を学ぶ。1952年にスタンフォード大学から修士号、66年にミネソタ大学から博士号を取得した。1953年からフィリピン大学(UP)の英文学・比較文学科で教鞭をとり始め、後に学科長を務めた。大学を退職してからは、環境保護活動家として非政府組織(NGO)にも関与し、環境NGO全国ネットワーク組織「フィリピン気候変動ネットワーク」の議長も務めた

澤田公伸[サワダマサノブ]
1962年、大阪府生まれ。1989年に大阪外国語大学(現大阪大学)外国語学部フィリピン語専攻コースを卒業後、同大学大学院(南アジア・オセアニア地域研究専攻)に進学し、93年に修士号を取得。この間、1991年から92年まで国費留学生としてフィリピン大学(UP)大学院の修士課程に1年間留学。1996年よりマニラ首都圏マカティ市にある邦字紙、「まにら新聞」で記者として働き始める。2000年からは同新聞の嘱託記者となる一方、タガログ語講座の講師やフリーランスで通訳・翻訳業務にも従事する

永井均[ナガイヒトシ]
1965年、米国カリフォルニア州生まれ。立教大学大学院文学研究科博士課程後期課程満期退学。博士(文学)。広島市立大学広島平和研究所教授。2016年6月から17年3月までフィリピンのアテネオ・デ・マニラ大学アテネオ・アジア研究センター(ACAS)で客員研究員を務める。専攻は日本近現代史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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ケイ

139
日本の占領開始時には、ある島の都市で生活していた少女。彼女のお宅は、戦前も戦後も裕福だったようだ。戦後、彼女は復学し、フィリピンの大学を卒業。博士課程はアメリカで取得。彼女は子供向けに書いているようだし、言葉も選んでいるだろう。日本人も人間であるし、心を通わせられる兵士もいたはずだ。彼女がそういった面を書いていることを、殊更に取り上げることをして欲しくないと思う。これを読んで少しも驕るところがあってはならないはずだ。ただ、彼女が提供した写真にある少年のような兵士たちの顔には一人の大人として胸が痛む。2018/06/27

スー

19
94フィリピンは太平洋戦争での激戦地だったというのは知ってましたが、日本人52万人111万人が亡くなったとは知らなかった。筆者のヘレンさんは当時書いていた日記を元にこの本を書いてますが、彼女が出会った日本兵はあまり悪い人に出会わず大半の日本兵達は遠く母国を離れた寂しさを紛らわすように友情を求めていた人ばかりでした。しかしスパイ容疑で逮捕されてから不信感を持つようになりましたがそれでも日本人を憎む事はなかったので少し助かりました。フィリピンは日本に悪い感情を持っている国というイメージがあったので仕事で何度も2020/07/09

ぴこ

1
太平洋戦争中日本に占領されていたフィリピンで生きた少女が、日記を元に当時を思い出しながら書いた手記。マニラに行くことになったため読んでみた。もともと南京虐殺等に比べマニラ戦は日本人に知られていないがかなりの犠牲者が出ている。比日両国が忘れるべきではないし、日本人として戦争のことを知らないで現地ではしゃぐのは恥だと思う。2019/03/13

sayanu

0
フィリピン戦のことはほとんど知らなかったので、勉強になった。ご本人のキャラクタや現在の心情も大きいとは思うが、激戦区とはまた違った趣の記録。2018/07/28

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