内容説明
死体写真家・映像作家・釣崎清隆の“死”をテーマにした写真集。
著者等紹介
釣崎清隆[ツリサキキヨタカ]
写真家・映画監督・文筆家。昭和41年富山県生まれ。慶應義塾大学文学部卒。学生時代から自主映画制作、文筆活動に従事し、AV監督を経て平成6年から写真家として活動開始。ヒトの死体を被写体にタイ、コロンビア、メキシコ、ロシア、パレスチナなど世界各国の無法地帯、紛争地域を取材してきた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
みや
31
オールカラーの死体写真集。唯一無二の素晴らしい写真ばかり。規制によって強制的に現実から遠ざけられる「死」に本書のおかげで少しだけ近づくことができ、その美しさと惨たらしさに一層に心惹かれた。誰もが必ず死んで死体となる。10年前に死にかけて以来、人生で一回しか経験できない死を楽しかった生の締め括りとして楽しいものにしたいと望み、 生も死も平等に大切にして生きてきた。芸術まで昇華させるのは難しいが、私が死んだ時に「あいつは最後の瞬間まで楽しんだんだろうな」と、エンタメとして笑ってもらえるような生き方をしたい。2019/01/06
yo
20
【不可逆的だが、平等で、小さな手続き。】「死」は明らかに不可逆的である。一度死んでしまってから生き返ることはない。「死」は平等だ。殺人、交通事故、服毒自殺、縊死、原因はさまざまあるだろうし、生前の彼らにもさまざまな人生があったことは間違いない。だが、死を経た後は、ただ人間の残骸を残すのみである。そして、「死」はとても小さな手続きでしかない。当たり前だが、死後もその残骸は存在する。死んで終わるのは精神だけで、肉体は残る。首を吊って死んだ後も、肉体に自重はかかり続ける。服も生前のままだ。2019/10/27
くぅ
18
読トモさんよりお薦めして頂きました。死体の写真集。私が実際に目にしたことのない世界。この世は残酷で醜いという現実をダイレクトに伝えてくる。同じ人間なのに、何一つ不自由なく生きる人もいれば、蔑まされ道端で野垂れ死ぬ人もいる。それが日常であり、死を身近に感じ、生活している人もいる。生きていれば死ぬことだって当然あるのに、どうしても自分ではない他人事だと錯覚してしまう。この世は残酷だという事実を忘れてはいけない。救うのも殺すのも処理するのも人。死んだからといって、フィルターをかけてはいけない。現実だ。2019/10/05
はとむぎ
15
フィクションではない死を写した写真集。ページを捲っていくほど静かな気持ちになるのに、捲っていくほど勝手に涙が出てきた。死の時間(あるいは死後と継続した時間で纏められるかもしれない)は、人生で唯一、なんの衒いも卑下もなく、ただそこに認められる時間(瞬間)だと思っています。そこへ行き着くまでの膨大な時の中に存在する様々な感情や熱もその中に存在しているはずなのに、(言い方がすごく悪いけど)死んでしまったらそれはもうただ純粋な何か、に変わってしまって、複雑性というものがなくなる。→2019/02/03
にゃおまる
3
最後の方になると慣れる。 人間はすぐに慣れる。 死体は死体。 殺されてても眠ったような表情。2019/01/10