内容説明
悟りが起こるかどうかなんて、まったくかまわない。そんなこと、私には関係ない。私は探求者ではない。そんなこと、誰がかまうもんか…『アイ・アム・ザット私は在る』のニサルガダッタ・マハラジの弟子、ラメッシ・バルセカールが語る「私とは誰か?」というラマナ・マハルシの問いの先にあるもの―。
目次
第1章 悟りを求める人が、初めて教えを聴く
第2章 意識は存在するすべてである
第3章 現象
第4章 エゴ
第5章 機能する心と考える心
第6章 探求
第7章 教えが日常生活に与える影響
付録 バクティ(帰依)とジュニャーナ(知)
著者等紹介
バルセカール,ラメッシ・S.[バルセカール,ラメッシS.][Balsekar,Ramesh S.]
1917年、インドの中流家庭に生まれる。大学を卒業後、銀行に勤めながら、妻と3人の子供を養い、最後は頭取として手腕を発揮する。銀行を退職後、師であるニサルガダッタ・マハラジ(Nisargadatta Maharaj)に出会い、覚醒する。それ以後長年、ムンバイの自宅や欧米で、世界中から訪れる探求者たちの質問に答える日々を送り、2009年9月に92歳で生涯を終える
高木悠鼓[タカキユウコ]
大学卒業後、教育関係の仕事をへて、現在は、翻訳・作家・出版業を営む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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大島ちかり
5
弟子との対話だったり、難しくない言葉だったりするけど、気を抜いて読むと、矛盾を感じたり???になったり。エゴなしに現実を生きられるのか、分からない。2023/11/29
うちこ
5
「以後気をつけます」というお決まりのフレーズは未来に逃げているだけだということに気づいてしまっている人に、この本はきっと刺さる。 自身の中に存在する悪魔的な意思や思考、道徳観という行司の存在だけでは決着のつかない脳内ひとり相撲、その認識や印象や記憶にどう向き合うかというときに、この教えの中にある「考える心」と「機能する心」に分けた説明のしかたはかなり救いになります。決着のつかない判定に「審議」や「映像判定」という方法を手渡してくれる、そいういう救いかた。 2018/12/04
ごー
4
インド人の哲学者。人々との対話集。行為者というのは存在しなくて、あらかじめプログラムされたものを実行しているだけなのだそうだ。般若心経のようでもあり、キリスト教のようでもあり。「受容と明け渡しの最終結論は何でしょうか? それは、何かをすることができるどんな『自分』も、本当には存在しない、ということです。」エゴってめんどくさい。2019/01/10
chacha子
3
途中まで読んだ。とりあえず、決定論的な立場を取っていらっしゃるのだなと。ある意味ではそうかもしれない。
:*:♪・゜’☆…((φ(‘ー’*)
1
音楽を聞くように人生で起こることをただ楽しむ、目的も理解もない。 ■聖なる催眠「それはちょうど、影が太陽のあるところでは現実であるけれど、家の中に入れば存在しなくなるのと同じことです。現象全体は、目覚めている状態では現実です。」「でも、あなたが家にいて熟睡しているときは、現象は存在しません。」「あなたはどうやって目覚めている状態を避けることができますか?」 ■観照、機能する心⇔考える心、肉体精神機構、巻き込まれること、聖なる催眠、理解のとんぼ返り 2018/08/28
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