目次
宮澤賢治『春と修羅』より(永訣の朝;無声慟哭;報告;青森挽歌;春と修羅)
古川日出男
虹の声(小池昌代)
日出男に声を借りる賢治に言葉を借りる日出男、ふたりの心の火、響き(管啓次郎)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
あじ
25
規則正しい呼吸のように刻まれていた言葉が、どしゃ降りの雨のように降り、大地に穴を開ける勢いになったり。優しく背中をさすってくれるような、声色で囁いたり。彼の声を色で表現したら、オーロラのような感じかもしれない。様々なシュチエーションで聴きたい朗読です。2013/06/23
不識庵
11
朗読を聴きながら読むと、賢治さんが古川氏の声帯を借りてそばに来てくれたような気がした。読み終える(聴き終える)と賢治さんは後ろ姿だった。黒いコートを着てボーラーハットを被っている。手には革のトランク。去り際に少し私を振り返って、にやりとアルカイックスマイルを浮かべた。2018/03/18
Bartleby
10
東北出身の作家古川日出男による宮沢賢治の詩の朗読。読みなれた詩も自分以外の人の声を通して読まれることで改めて新鮮なものとして感じることができた。一番印象的なのは「青森挽歌」だろうか。この詩にこんなにも色々なものの「声」が溢れていることを、この朗読を聞くまであまり意識できていなかったと思う。2015/03/19
ぐうぐう
10
朗読とは、活字という肉体に血を流す行為、もっと言えば、魂を宿す行為なのだ。それは、言葉を信じていないということではない。ときに言葉だけでは足らず、声に出すことで、より響き、より届くことがあるということ。古川日出男が読む宮澤賢治、その行為の動機は、あの三月の震災にある。福島の子である古川の、その凜とした誠実な声は、東北の子である賢治の詩に特別な意味を与え、震災後に生きる私達を、春の先の春へ連れて行く。2013/01/03
メセニ
6
活字を目で追うだけではわからなかった賢治の言葉が、古川日出男が発する声音やリズムによってすとんと体内に入ってくる気がした。こんなにもポリフォニックに言葉が連なり絡み合っていることにも驚かされる。とても音楽的だ。声に乗せることで初めて感じられることがあり、古川日出男の作品がそもそもそういう性質のもだと思い出し、いや、言葉とは本来そういうようなものかもしれないと強く意識させられた。2016/05/13