出版社内容情報
●2006年3月に逝去した、作曲家・編曲家・ジャズピアニスト、そして紅白歌合戦の掉尾を飾る『蛍の光』の指揮者"宮川泰"の甘く切ない、そしてメッタメタ面白い一代記。
●父親の職業(土木設計士)のため日本中を駆け巡った少年時代、転居した先々の中学校の講堂でピアノを弾いていた。禮子夫人と出会った大学生時代、大学の講堂でピアノを弾いていた。6畳1間のアパートでの新婚時代、6畳間にグランドピアノをすえてザ・ピーナツに新曲を教えていた。
『ウナ・セラ・ディ東京』『ゲバゲバ90分』『恋のバカンス』『宇宙戦艦ヤマト』など数々のヒット曲を発表する一方で、ザ・ピーナツ、伊東ゆかり、中尾ミエ、園まりなど和製ポップスの黄金期を代表する歌手を育てた男、宮川泰の物語。
●音楽業界の裏話も満載、昭和歌謡史の貴重な証言集!
目次
ドキドキワクワク―さあ、開演です!
ニシン、宮川、ウニ、ホタテ
室戸台風で濁流にドッボーン!
金山への鉄道を敷く父
大東亜戦争勃発で消えた鉄路
『銀色の道』発祥の地
階段教室で聴いたアコーディオン
一軒家よりも高いアコーディオン
爆撃跡で食べたニボシとおにぎり
終戦を迎えた“日田”という町〔ほか〕
著者等紹介
宮川泰[ミヤガワヒロシ]
1931年(昭和6年)3月18日北海道留萌村で生まれる。1949年(昭和24年)京都美術大学入学。1950年(昭和25年)タンゴバンドに参加。クラブ出演を始める。1951年(昭和26年)京都美術大学を中退し大阪学芸大学入学。1952年(昭和27年)アロハ・スウィング・バンド参加。進駐軍キャンプを回る。1953年(昭和28年)大阪学芸大学特設音楽科編入。小坂務とシックスサンズに参加。1955年(昭和30年)宮川泰とダンディラインズ結成。1956年(昭和31年)大阪学芸大学中退。上京して平岡精二カルテットに参加。1958年(昭和33年)宮川泰セプテットを結成。渡辺晋とシックスジョーズに参加。1962年(昭和37年)12月末でシックスジョーズを退団しフリーとなる。1963年(昭和38年)「恋のバカンス」で日本レコード大賞編曲賞受賞。1964年(昭和39年)「ウナ・セラ・ディ東京」がレコード大賞作曲賞受賞。その後も、多くの賞を受賞。1987年(昭和62年)日本作曲家協会理事、JASRAC理事。2003年(平成14年)大阪芸術大学教授、ハーモニカ振興会会長就任。2006年(平成17年)死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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