内容説明
震災を超えて語られる“人間”と“言語”。ハイデガーの言葉、山村暮鳥の詩、ボブ・ディランの歌が問う。
目次
純粋言語論
山村暮鳥と萩原朔太郎
満州からハートランドへ―戦争詩論以後
伝道者ディラン
ハイデガー「言語」試訳と註
著者等紹介
瀬尾育生[セオイクオ]
1948年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、首都大学東京教授。著書に詩集『DEEP PURPLE』(高見順賞)評論集『戦争詩論1910‐1945』(やまなし文学賞)『詩的間伐―対話2002‐2009』(稲川方人と共著、鮎川信夫賞)等がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
sk
4
読み応えのある評論集だった。事物がじかに語りかけてくる言語=純粋言語という考え方は非常に射程の広いものだし、暮鳥やディランについての批評も意外性があって面白かった。やはり詩の世界では最も信頼のおける論客だ。2015/02/19
kentaro mori
2
⚫︎例えば、パンのことを、ドイツ語ではBrotといい、フランス語ではpainといい、英語ではbreadという。それぞれの語はそれぞれの言語の体系の中で固有の価値をもっています。だから、ほんとうをいえば、Brotとpainとbreadとは意味が違うっていうことになるんでしょうが、それにもかかわらずそれらは「翻訳可能」である。なぜ翻訳可能かというと、まず第一に、パンという事物が語り出しているからなんですね。パンがまず私たちに話しかけており、私たちは個々の言語体系の中からそれに応答している。命名というのは、事物2024/08/05
-
- 和書
- 事例詳解税務訴訟