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アウシュヴィッツの残りのもの - アルシーヴと証人

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  • サイズ B6判/ページ数 256,/高さ 19cm
  • 商品コード 9784901477000
  • NDC分類 209.74
  • Cコード C0010

出版社内容情報

イタリア現代思想の旗手による「アウシュヴィッツ以後」の倫理学の試み。
主著「ホモ・サケル」シリーズの第三部にあたる(第一部は以文社より刊行、第二部は原著未完)。
プリモ・レーヴィをはじめとする強制収容所からの奇跡的生還者たちの証言をもとに、「人間である」情況を剥奪される極限を考察し、 大虐殺以後に思考することの根源的課題を模索した、来たるべき倫理哲学。
ジュディス・バトラー絶賛。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

34

19
〈残りもの〉とは非常に強い言葉。イザヤ書には、イスラエルの堕落を歎くイザヤが、アッシリアによる侵攻によってイスラエルが滅び、子供でも数えられるほどの数に減った「残りのもの」が信仰を回復することを願う箇所がある。表題はそこを参照したパウロの書簡からきているのだが、まったく意味を欠いた殺戮に対して、その無意味さが空白のように意味を要請している、本書はこの要請に答えようとしたものといっていいだろう。もちろんそこには、空白を空白として保存することの要請も含まれているはず。2019/07/21

しゅん

10
アウシュヴィッツの語れなさを分析して、「アウシュヴィッツは語ることはできない」というステレオタイプと化した(ナチス的態度を無意識になぞった)言説を蹴散らす。人間は二重化している。死んだまま生きている、生きたまま死んでいることがありうる。病の老人が前者なら、後者はアウシュヴィッツの「回教徒」ではないかという位置付け。不謹慎ながら、「回教徒」って言い方に詩的なかっこよさを見い出している自分がいることを告白しておきます。2019/11/07

hitotoseno

10
最悪を極めたアウシュヴィッツにおいてさえ収容者の間で階層構造は出来ており、その中の底辺に位置したものは諦めきって座りつくした様子からムーゼルマン(回教徒)と呼ばれた。彼らと比較的マシな収容者の間に出来ていた人間と非人間をわかつ閾を見据えよ、と要請することでいささかアイロニーを含ませつつも、アガンベンなりの極限状態において生み出される倫理が割合ストレートに提示されている本書は、同時に『ホモサケル』以来の法学に汚染されない倫理という課題を見事にクリアしている。2016/10/01

bibliophage

8
『ホモ・サケル』第3部。非常に勉強になる1冊だった。こういう本をさらっと読んで理解できるようになりたい。証言論(脱主体化の主体)が本書の主要なトピックのひとつだと思うが、なかなか興味深かった。また、それ以外の部分でも、学びとなる部分が多く、『ホモ・サケル』第1部も読んでみたいと思った。2017/05/10

Ecriture

6
主体化の流れ、脱主体化の流れ、主体という閾云々はドゥルーズの路線でとても分かりやすく頷きながら読んだ。「恥ずかしさ」に関しては素晴らしい洞察だが、これはアウシュビッツの証人に固有の流れを汲み取った分析であり、これがアガンベンのファンによって「恥ずかしさ」一般への言及に駆り出されてファッション化しないことを祈る。2009/08/04

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