内容説明
50年前に特攻出撃した若者たちは、つかの間の生に何を求め、苦しみ、祈りつつ死んでいったのか。その心の軌跡をたどりつつ、従来の“偽善的特攻論”を批判的に分析した、著者渾身の真相告発。
目次
帝国陸海軍の栄光と汚点
特攻は志願か命令か
統率の外道
外道の告発
大西中将はなぜ切腹したか(遺書;精神分析)
神なき神風
英雄にされた殺戮者
五十年目の鎮魂
著者等紹介
三村文男[ミムラフミオ]
1920年兵庫県神戸市生まれ。満洲帝国建国大学中退。第一高等学校を経て、1945年東京帝国大学医学部卒業。勤務医を経た後、現在まで神戸市長田区で開業医を営む。戦記物、特に第二次世界大戦の評論は鋭い
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
南の風
0
特攻と聞くと、その凄惨さと、その殉国の精神性のあいだに引き裂かれる思いがするが、本書は、軍の上層部では、特攻兵は消耗品扱いであり、組織的な殺人であったと告発している。たしかに本土決戦で、国民を総特攻に動員し、二千万人もつぎ込めば戦争に勝てるという考えなどを聞くと、それももっともだと思われる。そして謝罪も反省もなく今日まで来ている。著者の50年に及ぶ感情のわだかまりの深さが伝わってくる。特攻の印象に「軍の非道」が加わった。■最後の、古事記の弟橘媛との重ね合わせに見られる著者の鎮魂の思いには心動かされた。2017/09/22
toshiyk
0
読むのに苦慮する本だった。著者は特攻隊員と同世代の人間として、特攻命令者・協力者を殺人罪で告発する。戦後特攻を弁護し続ける者も事後従犯として告発する。同時に、加害者の贖罪を錦の御旗に平和を宣う左派をはじめ、特攻を封印し祀りもせず忘れて行く戦後の人間たちへの嫌悪を隠さない。そして、特攻に自ら志願し、あるいは特攻で望まぬ死に追い込まれた同世代の特攻隊員たちを愛惜するだけでなく、「大君の辺にこそ死なめ」の心をこそ、愛してやまないのだ。その心にこそサディストや詐欺師はつけこんできたのではないか、と言いたいのだが。2017/03/04