田中角栄と早坂茂三

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  • サイズ B6判/ページ数 206p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784900424791
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C0036

目次

第1部 早坂茂三の田中角栄90話(「あのときに姉がおふくろに送ってくれた一円札を封筒から抜いて舐めてみたら、姉の涙で、札は塩辛かっただろう」(8話)
「土建屋でも国会議員になれば立法権を行使できる世の中になった」(10話)
「できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任は、この田中角栄が背負う。以上」(20話)
「中曽根康弘は遠目の富士山だ。遠くに見る富士は颯爽として美しい。近くに行けば瓦礫の山さ。石ころばかりだ」「三木武夫は芸達者な婆さん芸者だ。芸のある芸者は生き残ることができる」(16話)
「池田、佐藤は京大、東大だ。財界の連中もだいたい、そうだ。みんな先輩、後輩、身内の仲間なんだ。オレは小学校出身だ。ひがみじゃないが、オレは、彼らに頭を下げて、おめおめとカネをもらいに行く気はない」(6話)
「日中を一気にやる。俺は毛沢東、周恩来という男たちを信用している。連中は共産党だ。だけど、死線を何十回も超えてきた。修羅場を何百回もくぐり抜けてきている。そうした“叩き上げ創業者オーナー”というのは、大事を決するときに信用できる」(8話)
「アメリカのメジャーからいろんな横ヤリがあるだろうとはわかっていたが、それはしょうがない。殺されないうちに逃げればいいんだと思っていた。短兵急だったかな―とは思ったけど、構わずに、やったわけだ」(8話)
「私が大切にしているのは人間との接し方だ。戦略や戦術ではない」(10話)
「大都市や産業が主人公の社会ではなく、人間と太陽と緑が主人公となる“人間復権”の新しい時代を迎えることは決して不可能ではない」(4話))
第2部 早坂茂三の自分史(角栄の家来になるまで)(早坂茂三出生とその時代背景;戦時体制下での幼少年時代;敗戦、教師不信から二浪、そして早稲田へ;民主主義科学者協会早大班の時代;読売新聞を落とされて東京タイムズに入る;六十年安保と、社会党への期待の消滅;渡邉恒雄、若き日の厚情;田中角栄を初めて間近に、直接見る;「俺は一〇年後、天下を盗る。お前、片棒を担げ」)

著者等紹介

山形三吉[ヤマガタサンキチ]
山形県生まれの放送作家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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