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内容説明
アパルトヘイト政権下の南アフリカ。ごろつき、ギャングスタを意味するツォツィと呼ばれている少年は、仲間と共に日々盗みや殺しを繰り返していた。記憶のない彼にとって、生きているという実感が持てるのは、ただ人を殺すときのみ。そんな彼がある日見知らぬ女性に赤ん坊を押し付けられる。強く心を惹かれ、ぎこちなく世話を始めると、その日からすべてが変わった…。世界的な劇作家、アソル・フガードによる、生きることの根源的な意味を問う、不朽の感動作。
著者等紹介
フガード,アソル[フガード,アソル][Fugard,Athol]
現存する最も偉大な劇作家の一人と称され、その戯曲は世界中で上演されている。南アフリカでは著書や演劇が広く愛されている国民的作家。1932年、南アフリカのミドルバーグ生まれ。白人でありながら反アパルトヘイト活動を続け、黒人と共に演劇を制作、上演した。戯曲はトニー賞、イブニングスタンダード賞など受賞も多く、数作品は映画化もされている。舞台・映画俳優、演出家としての活動もしており、映画『ガンディー』や『キリング・フィールド』には俳優として出演した
金原瑞人[カネハラミズヒト]
翻訳家。法政大学社会学部教授。1954年、岡山県生まれ。ヤングアダルト分野を中心に精力的な翻訳活動を行い、訳書は260以上にのぼる
中田香[ナカタカオリ]
翻訳家。新潟県生まれ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
こばまり
51
ともすれば心に住みついてしまい離れがたくなる。このツォツィもそんな主人公の一人だ。つらい話は現実社会で十分と、小説に手が伸びない時もある。一方で心の中をそんな人物たちで埋め尽くしたくもなる。2021/03/28
キムチ
49
金原氏の訳本に外れた試しない。この本、更に期待すっ飛ばせ、壮烈な疾走感の世界にグイッと引き込んだ。暖衣飽食の快適な環境で読ませる本じゃぁない。筆者自体、南アで猛烈な人気作家だけあるが、読ませたくて著したスタイルでもない。コンセプトは「母、おっぱい、赤ん坊」自らの名前と過去を封印した日々のツォツィ。南ア、黒人居住区タウンシップに住む彼 日々は暴力と略奪に明け暮れる。赤ん坊との出会いもブラック・・だが彼は自らと否応なく対峙させられることに。2005映画化とあるのでレンタルしてみなきゃ2020/01/16
空猫
28
…人種隔離政策下の南ア。「ツォツィ」とはごろつきの意。そう呼ばれる彼には誕生日も親に付けられた名前もない。犯罪で手にしたお金でその日暮らし。ある日仲間の言葉通り運命を変える人々に会う。乳飲み子、身障者、シングルマザー…ツォツィは過去を思い出す。そして未来を考え出す「じゃあ、また明日」…。ムッとする程暑苦しく、むせ返るほどの臭いを感じる、静かな迫力のある物語。人間はただ生きるだけでは空虚だ。なぜ生かされているのか、その意味を知らねば。そんなことを考えさせられる一冊だった。2020/01/31
Romi@いつも心に太陽を!
14
映画が素晴らしかったので購入。原作はアパルトヘイト政権下の、治安の悪さで名高い、南アフリカはヨハネスブルグが舞台。TSOTSIは不良という意味です。生い立ちも実名もふせ、ギャング仲間と盗みでその日暮らしをする少年。優しく繊細だったゆえに傷つき、生きるために周りを傷つけ、誰にも「生き方」や「愛情」を教えてもらうことなく育ってしまったTSOTSI。その愛情を不器用ながら、連れ去った赤ん坊へ与えはじめることで彼の心に変化が生まれる。希望がなければ絶望もない。光がなければあるのは闇だけ。人はそれでも生きたいと願う2010/06/26
ぱせり
11
この国で黒人として生きるということの意味が絶望的な確かさで伝わってくる。印象に残るのは、シャバララの「生きたい」という言葉。最後の場面の不思議な明るさ、爽やかさは、あの「生きたい」という言葉に繋がっているように感じた。もう一つ印象的だったのは、名前。名まえを覚えていない、という人の虚ろな闇。本当の名前を思い出すことは、勝利の証のよう。 2012/08/27