内容説明
永遠の映画少年、大森一樹が遺した言葉。『オレンジロード急行』、『ヒポクラテスたち』、『風の歌を聴け』、吉川晃司三部作、斉藤由貴三部作、『ゴジラ』シリーズ等日本映画界を揺るがす才能で娯楽映画を作りつづけた監督が人生を振り返り綴った、最後のエッセイ。
目次
わが心の自叙伝(映画作品の記憶;引っ越し;映画に夢中;中学受験;高校で映研創設 ほか)
大森一樹随筆集(赤い鳥逃げた?;夢を抱いたまま映画につなぎとめられて生きていくこと;一九八一年の切符;大好きな映画を自分の物にしておくために;映画の「味」について ほか)
著者等紹介
大森一樹[オオモリカズキ]
1952年大阪市生まれ。京都府立医科大学卒業。高校時代から8ミリ映画を撮り始め、1977年、シナリオ『オレンジロード急行』で城戸賞受賞、翌年同映画化で劇場映画監督デビュー。以後、80年に自身の医学生時代を描いた『ヒポクラテスたち』(監督・脚本)、81年に村上春樹原作『風の歌を聴け』(監督・脚本)、86年には氷室冴子原作『恋する女たち』で文化庁優秀映画賞受賞。88年には『トットチャンネル』、『「さよなら」の女たち』などで文部省芸術選奨新人賞受賞。2006年から2022年まで大阪芸術大学映像学科で学科長を務め、若手映画人の育成に携わった。2022年11月逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Isamash
22
大森一樹監督2023年発行著書。2022年70歳でAMLで亡くなっていたとは。50本以上と沢山の映画を監督していたことも知らなかった。年譜で確認すると、1980年「ヒポクラテスたち」と1984年「すかんぴんウオーク」しか見ていない。ただ2作とも大感激したのに、何故他作品を見ていないのか?とても不思議。父は放射線科の医師だったらしく、映像を扱うという意味では同じだったことを知る。中学時代の日曜洋画劇場(淀川長治開設)と地元の旧作映画館の存在が大きかったとも。二浪後の京都府立医大の選択は北山修の影響らしい。2024/05/21
トランザム7000
9
本作は神戸新聞に掲載されたエッセイを中心として構成されている。私が『映画』にどっぷりとハマったのは大森一樹監督の影響が非常に大きい。それゆえもあって本作はすこぶる面白い。大森一樹監督が本棚に残した1000本のDVDのリストが確認できる『おまけ』もあり。大森一樹監督、安らかにお眠りください。2023/11/18
ブラック ミッフィー の チョコちゃん
5
余命を宣告されてからの病院で書かれた自叙伝と随筆なんだけど この人 ホントに根っからの映画人だったんだなと読んで 思ったのと最後に載ってる「少し早めの私の遺言」は特に良かった。家族に贈る言葉はうるっときた。2023/11/14
doctom
3
中学高校とロードショーはもちろん2番館・名画座で映画を観まくり、医学部に入学し、映画製作部に映画を撮り、留年し・・・の青春時代。大森監督と違うのは卒後、映画の世界に入った監督と医学の道に進んだ私。「暗くなるまで待てない」を観てぴあ展に応募もしました。そしてATGで「ヒポクラテスたち」を観て衝撃を受けました。そんなこんなで中年になっても監督の映画に注目してきた私ですが悲報を受けショックでした。この本も懐かしさと悲しさが混じり合う中で読了。2024/02/29
hata2
3
神戸新聞に連載された映画人生を振り返るエッセイと、過去に活字になった文章の採録で構成されている。PCに残されていた原稿がエピローグとして掲載されているので、表現活動としては遺作と言って良いと思う。ゴジラ映画ぐらいまでは割と監督作を観ていたので、懐かしさがあり。最後までポジティブさを失っていなかったのは良かった。2023/11/22