なぜ、いま禅なのか―「足る」を知れ!

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  • サイズ B6判/ページ数 245p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784898063699
  • NDC分類 188.84
  • Cコード C2076

内容説明

「幸福はどこにでも転がっている…それが禅者の幸福観である」昭和を代表する名僧・京都・大徳寺立花大亀和尚の遺言。

目次

第1章 なぜ、いま禅なのか
第2章 現代人が得たもの失ったもの
第3章 混迷の時代にいかに自己を確立するか
第4章 自分を生かし人を生かす道とは
第5章 いまこそ日本の「わび」を世界へ示せ
第6章 禅と日本文化

著者等紹介

立花大亀[タチバナダイキ]
明治32(1899)年、大阪堺市生まれ。大正10(1921)年、堺市南宗寺にて得度。昭和6(1931)年、大徳寺塔頭徳禅寺住職。昭和28(1953)年より34年まで大徳寺宗務総長、のち顧問、管長代務。昭和43(1968)年5月、大徳寺511世住持となる。以後、大徳寺最高顧問。昭和47(1972)年、大徳寺山内に如意庵再興。昭和54(1979)年、奈良大宇陀に松源院再建。昭和57(1982)年より昭和61年まで花園大学学長。平成17(2005)年8月25日、107歳にて遷化(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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よったん

5
だいぶ昔の本だけど、共感する価値観やいまの日本人が忘れてる大事なことがいろいろ思い当たる。2014/01/05

千本通り

3
この本は1頁にそんなに文字数は多くなく、すぐ読み切ってしまうと思って読んだら、どうしてどうして内容の深いこと。著者の立花大亀禅師は京都臨済宗大徳寺の511世住持となり、その後花園大学学長などをした人だったのだ。わび、さびの説明も腑に落ちたが、無心になろうとすればするほど煩悩が湧き起こってきて、曹洞宗の開祖道元禅師はひたすら「只管打坐」(座禅)すべしと仰せだが、臨済禅では何かそこに考えるテーマ(それを公案という)を与えて、他には何一つ考えられない状態にすることで「無心」になるのだという説明も納得がいった。2024/07/11

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