忠誠日本一―二百八十年間主君を支え続けた会津山ノ内家の家臣たち

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忠誠日本一―二百八十年間主君を支え続けた会津山ノ内家の家臣たち

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  • サイズ A5判/ページ数 326p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784897577265
  • NDC分類 212.6
  • Cコード C0021

内容説明

中世から江戸時代にかけて伊北郷、金山谷と呼ばれた会津南西部と越後筋に、土佐の一領具足にも比肩される千人を超す地侍がいた。彼等は鎌倉時代に平泉攻めで手柄を立て、源頼朝から会津に知行をもらってきた横田山ノ内家譜代の臣たちだが、伊達政宗の侵略を受け、豊臣秀吉の奥州仕置によって所領を失う。江戸時代には百姓に身を落としながらも誇りは高く、保科正之に掛け合って旧主の子孫を会津藩に仕官させる。以後幕末まで二百八十年、山ノ内家「什の掟」のもとに結束、たぐいまれな忠誠連判状を出し続ける。戊辰戦争には数百人が決起して越後、会津の各地に転戦。その手柄が認められて百人を超す農民が会津藩士に取り立てられるという異例の抜擢を受けた…。その経過を古文書にたどりながら、「南山御蔵入領に武士はいなかった」とする定説を覆し、会津の歴史を塗り替えた歴史ドキュメント。

目次

第1章 忠誠この世に比類なし
第2章 山ノ内家のルーツ
第3章 版図を広げる伊達政宗
第4章 南会津戦記
第5章 忠誠日本一への傾斜
第6章 他邦に見られぬ奇特な忠誠
第7章 山ノ内家傍系の人々
第8章 決起転戦の終章

著者等紹介

栗城正義[クリキマサヨシ]
昭和6年(1931)大沼郡金山町西谷に生まれる。昭和30年(1955)東京都認可早稲田速記学校(現早稲田速記医療福祉専門学校)を卒業。昭和30年(1955)福島民友新聞社に入社。編集局報道部速記主任、同報道部副部長、同文化部長待遇。同報道部長待遇を経て、平成3年(1991)4月退社。新聞社の通信手段が機械化されてからは文化、読書、健康、教育欄の取材編集を担当。この間、速記関係では日本速記協会福島県支部長として文部省認定速記検定試験を福島県内で実施、宮城県立白石女子高校の特活速記講師、文部省認定社会通信教育スクーリング講師などを務めた。退職後は書籍の編集出版を業とする「西栗書房」を設立。昭和43年(1968)一條和一先生に就いて短歌を始め、のち『創作』同人となる。平成元年(1989)から平成15年(2003)まで公募短歌祭「牧水青葉の集い」を主催。また福島民友新聞の「短歌欄選者」や書道団体若草会顧問、福島民友新聞社の退職者による親睦団体同人会の事務局長・副会長、福島ペンクラブ五月会世話人・同編集委員を務める。平成10年(1998)に「青葉短歌会」を設立、会長を務め現在に至る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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