内容説明
日本人はいかにして食糧を得てきたのか。日本中をくまなく見て歩いた著者ならではの、各地に例を挙げた考察は、稲作を中心とした日本の食の歴史をわかりやすく解説するだけにとどまらず、それにまつわる年中行事や暦、農業経営や漁業技術、海と山の関係や交易にいたるまで多岐にわたる。宮本常一の未発表未完原稿。
目次
飢餓からの脱出(飢餓からの脱出;家族生活の発達;焼畑農耕へ;縄文文化の流動性;畑作の年中行事;農耕と工技;稲作と村;稲作国家の成立;稲作農業の発達;稲作の経営規模;社会保障としての豪族と村;貸借必要の世界;貢納物の清算;機織技術の伝播;鉄の使用;犂耕の持つ意味;山村と交易;海と山のつながり;山の道;鴨部;漁業技術と漁村;下北の村々の生業;生産の縄張と郡;「人の移動と国」)
日本人の食生活(環境と食べ物;イモと生活;食事の回数;肴;食器)
著者等紹介
宮本常一[ミヤモトツネイチ]
1907年、山口県周防大島生まれ。大阪府立天王寺師範学校専攻科地理学専攻卒業。民俗学者。日本観光文化研究所所長、武蔵野美術大学教授、日本常民文化研究所理事などを務める。1981年没。同年勲三等瑞宝章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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三平
10
未完の遺稿『飢餓からの脱出』とそれを補完する為の『日本人の食生活』を収録。前者は未推敲の為か名文家の宮本にしては少し読みにくかったが、飢餓と戦い生き延びた庶民の苦難の歴史を描こうとしている。蒔く時期を失すると収穫が半減、もしくは皆無になる雑穀・野菜の多様な広がりやその他の事情から鑑みて、古代の農耕文化の変化は大陸から情報だけでなく多くの人が移住しその土地で生きようとした結果ではないかと、百姓出身の宮本ならではの視点があるなど面白かった。2015/04/20
とも
5
最近「地政学を子どもにも」という流れを感じますが、こういった「地形と生業」というような、身体感覚に近いようなミクロな民俗学から入ってみるのはどうかな、と提案したい。 漁の仕方ひとつとっても地形が違えばとなりの地域とは違ったり、生き方、生業の分布等、うまく学べれば社会はもっと楽しくなる気がする。 時間が足りないかな。2021/04/22
のらくら Running B.B
2
古代からの生産様式が形を変えながらも、おそらくはその根幹部分が大きく変質せずに受け継がれてきた最後の時代である昭和前期に、日本中を歩いてそれらを実地で検分してきた著者が、生業の発展と文化によってどのように我々が飢餓を克服してきたのかを視点に綴り直した日本史。異なる生業を持つ村々がモザイク状に分布し、必ずしも隣村との交流がなかったとしても、郡で見れば内部で自己完結的に分業と交易が営まれていたであろうことなど、実際に村々を歩き回っての実感と膨大な資料に裏付けられた仮説は大変魅力的である。未完が惜しまれる。2013/11/17
Satoshi Murai
2
久しぶりの小説だった脊梁山脈に木地師が出てきたので、全集未収録というのにも心惹かれ、ついつい読んでしまいました。恥ずかしながら、貝塚から、なぜ貝殻が大量に出るのか、初めて知りました。2013/08/04
Kaname Funakoshi
1
簡単に死に絶えては別の一族が田を引き継いで生き延びてきた日本人がどのようにして飢餓から脱出したかを語る未完の書。彼岸花の球根は毒素を含むが、茹でて2日流水に晒すと毒素が抜けて食べられるようになるとか、縄文時代以来のドングリの食べ方など、飽食の時代からは考えるのは面白いけど体験したくない話が満載。全ての日本人が米を食べられるようになったのは、皮肉なことに太平洋戦争での食糧統制で1人あたりの米の配給量が決められたのが契機だった、というのが一番興味深かった。2022/12/17