内容説明
ナショナリズムは世界中に目を覆う惨禍をもたらした。現在も偏狭な民族主義が血で血を洗う抗争を引き起こしている。だがナショナリズムはただ否定すべきものなのだろうか。その気になりさえすれば廃棄できるものなのだろうか。いま必要なのは、新しい開かれたナショナリズム、人権と多様な価値観を抑圧しないナショナリティを確立することだ。われわれのナショナルな心情の源流をさかのぼり、ナショナリズム転生への条件を提起する。
目次
序章 ナショナリズムの練習問題
第1章 希望としての「国民」
第2章 国体論の廃墟のなかで
第3章 「侵略戦争」の語り方
第4章 国民とはだれか
第5章 自由の原理と共感の理念
終章 誇りをもってナショナルに
著者等紹介
井崎正敏[イザキマサトシ]
1947年東京生まれ。東京大学文学部倫理学科卒業。筑摩書房専務取締役編集部長を経て、批評活動に入る。武蔵大学社会学部客員教授、明星大学日本文化学部・東京大学文学部非常勤講師
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感想・レビュー
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perLod(ピリオド)🇷🇺🇨🇳🇮🇷🇵🇸🇾🇪🇱🇧🇨🇺
6
2005年刊。 序章。ナショナリズムはなくならない。そしてナショナリズムにしか出来ないことがある。ではナショナリズムはどのような方向性を目指すべきか。 第1章。近代イタリアで刊行され大いに読まれた『クオーレ』の抜粋と、後進国民国家イタリアの事情。実にタテマエ的で偽善臭のひどい修身教訓話だ。これらの特徴は当然その多くは近代日本にも当てはまる。→2023/12/16
うえ
5
「民族・文化的同質性にもとづく「東」のナショナリズムと、人民の主体的政治意志にもとづく「西」のナショナリズムの二類型にナショナリズムを分類する「コーン・ダイコトミー」は、その後さまざまな批判を受けつつも、今日にまで変奏されてきた。…バルト三国の…独立を果たすさまには拍手を送った人々の眼にも、旧ユーゴの血で血を洗う民族抗争は衝撃的な事実であった。共産主義…が崩れたあとに出現したのは、かつて民主主義とともに謳歌されたナショナリズムでもなければ、あるいは民族自決の名で熱く語られたナショナリズムでもなかった。」2022/06/01
入江・ろばーと
1
『人種差別から読み解く大東亜戦争』や『大日本帝国の国家戦略』読了後だからか、カギカッコつきとはいえ侵略戦争一辺倒な記述のされ方がどうしても気になってしまった……2016/03/19
結城あすか
1
いわゆる反日ナショナリズムのようなものを不健全なナショナリズムとして退け、近代国家の基盤である国民のアイデンティティの在り方としての健全なナショナリズムを模索しようとしてるのは評価できるにょ。日本でナショナリズムと言うとすぐ靖国神社や軍国主義に結び付けたがるようなサヨク思想に洗脳された人が正常化のためのリハビリテーションとして読むぶんには適当かも知れないにょ。2006/09/21
さるぼぼキング
0
排他性を押さえながら連帯できる、目指すべき次の段階の新たなナショナリズムとはどういったものなのか。。。 相互扶助のある社会を成立させるにはその中で生きる人達の間に歴史的普遍的な価値観を共有する必要があり、それは当然ナショナリズムと繋がるもので、違う価値観に対して排他的になる要素も併せ持つ。 多様な価値観を包括しながらもう一つ大きな、普遍的な価値観を共有して連帯していかなくてはならない。。 隣国が屈折したナショナリズムによって体制を維持、コントロールしながら発展しようとしている中ではどうにも・・・2013/02/28