内容説明
魯迅が愛して中国語に翻訳し、日本では明治末期から上田敏、二葉亭四迷、森鴎外、大杉栄、昇曙夢、中村白葉らによって盛んに紹介され、親しまれてきた作品群、新訳!
著者等紹介
アンドレーエフ,レオニード・ニコラーエヴィチ[アンドレーエフ,レオニードニコラーエヴィチ] [Андреев,Леонид Николаевич]
1871年、露西亜西部のオリョールで測量士の家庭に生まれたが、中學時代に父を喪い辛酸を嘗める。幼時より読書を好み、學生時代はショーペンハウアーやハルトマンやニーチェに傾倒。ペチェルブールグとモスクヴァの両大學で法律を修め、弁護士の助手に。記者としても働き、時事戯評を執筆。1898年、新聞に掲載されたディケンズ風の短篇「バルガモートとガラーシカ」がゴーリキイに注目され、一躍、文壇の寵児に。1905年の第一次革命を歓迎したが、反動期に入ると失望し、1908年、フィンランドへ移住、戯曲を書き始める。1917年の十月革命後に亡命、1919年、心臓麻痺で死去、享年48
岡田和也[オカダカズヤ]
1961年浦和市生まれ。早稲田大学露文科卒。元ロシア国営放送会社「ロシアの声」ハバーロフスク支局員。元新聞「ロシースカヤ・ガゼータ(ロシア新聞)」翻訳員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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にゃおんある
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あの時は誰もがイエスを知らないと言い、裏切ったのに……。すべての者の罪を救済するために死んだのになぜユダの罪はなくならないのか疑問だった。この罪を許すことなく前に進むのか否かは僕らに課せられた試練ではないかと思う。誰もが間違った判断をする。それが正しいのか間違っているのかすら疑わしい。ほんの些細な違いで、片方は称賛され、片方は忌み嫌われる。同調圧力は情報化により一層高まり、より全体主義化していないだろうか。僕は分からない。だから確かめようとする。ユダの気持ちと変わらない。2022/05/30